芸術とカネ。新しさの真贋。

金木犀は枝を折って持ち帰っても香りがしない。これは農家を営んでいる田舎の親戚が言っていた事なのでおそらくは本当だろう。百合のように香りとルックスの二刀流でもないし。だから他人様の庭木を折るような罪を犯すなという事でもある。西瓜泥棒とかね。

では文学や歌謡曲で「香る金木犀はあるのか」というと、文学賞の応募作の下読み歴数十年のベテランさんが「この世界の不文律は、読んでいない本の評価はできない。ということ」と言っていた。やつれはてているとはいえ、そこが文学者の意地・矜持ですよね。つまり「引用した断片がいい香りがするかどうかは、読んで引用した人自身の魂に根差しているかどうか」なのである。片仮名で「リスペクトしてるしー」位ではベテランさんは許してくれない。

フェリーニの「サテリコン

古代文明の宴の御馳走はこのくらいダイナミックだったんだと嬉しくなるシーンや、劇中劇からのタイムスリップ・カットアップで「芸術が駄目になっちまった。カネだ。カネのせいだ」と嘆くシーン等は見応えがあるよね。ゴダールよりフェリーニの方が大事という人も多い。村に呪いがかけられて、股から火を吹ける女が1人しかいなくなって種火を貰いに行列ができてるシーンとか。

新商品のマーケティングで過去の売れ筋を分析するのは当然だけど、「コスパタイパの倍速リスナー」が「話しを合わせる目的で」「今の流行りのチルト、トレンド、キーワードを合わせるだけ」の「いいね、ワロタ、最強すぎる...等々」の安い股の片手間の評価なんぞに踊らされてると文学も新聞も歌謡曲も死んでいくのだろう。同調圧力で。

振り回されるな振り回せ(吉田秀雄)。カネと人気は政治も腐らせる。政治はともかく歌謡曲ぐらいは普通の物を聴きたいだろ。サブスクでいくらでも聴けるのに、耳が死んでたら意味がない。