死生観と拒否権

美空ひばり「一本の鉛筆」

映画「潜水服は蝶の夢を見る

胃ろう

食べ物の経口摂取(口から食べる)の場合は、歯や舌で拒否できるし適量も伝えられるけど、重度の疾患で「意思表示」ができない場合、胃ろうの装着にはデリケートな問題がある。難しいと先延ばしにすると、それはそれで困る人がいるので書いておく。

アンデルセン童話「マッチ売りの少女」

例えばこの主人公がなけなしのマッチを擦って見る最後の夢を、コンピュータの検索エンジンが選んで、胃ろうのように流し込むことをどう思うだろう。

Chat GPTに限らないけど、先端技術の開発者や指導的立場にいる人たちは、その辺まで考えているのだろうか。考えているとしても申し訳程度の建前に過ぎないと思ってしまうのは「やり方が強引」「強者のご都合主義」の匂いがするからなんだけどね。

どうなんだろうね。