4コマ漫画の家族構成とイデオロギー

植田まさしコボちゃん

寄る年波で病気療養中だった植田まさしが復帰するらしい。

おそらくは全盛期の鳥山明が毎年年賀状で「今年こそドラゴンボールの連載を終了したいのですが」と編集部に訴求していたように、植田まさしもこれだけの回数を描けばわが人生に悔いなしでポストを後進に譲りたいのだろうけど、あそこの主筆といいなんでこんなに未練がましいのかね。

「本人が望む必要な医療を受けさせないのは虐待」なのだけど、痛々しくて役所に通報したくなる時がある。

保守派の読者、支持層の心理には奇妙な二重構造があって、大衆に迎合して創り出したコンテンツ(上記の場合はコボの妹のミホ)に、迎合された大衆が迎合しない。というズレがある。そこを継続的なパワープレイで正当化しようとするでしょう。今も昔も。

新聞4コマ漫画で今バランスがいいのは青沼貴子「ねえ。ぴよちゃん」だが、主人公が「ののちゃん」も女だし、おっさんが読みやすいのかもしれない。

皮肉な意味で家族構造の鏡になっているのが「アサッテ君」の後継の「桜田です」なんだけど、キャラクターが多極化して、誰が主役なのか見分けがつかない。

誰が書いたか見分けがつかないチャットGPTといい、そういう時代なのかね。

生後1年で成人になる設定のイスカンダル人と地球人のハーフの「サーシア」

まれびと信仰がありつつも、血縁・縁故関係とコネクションを優先させるお国柄と民度ということか。

やれやれ。