「不条理なものは全部カフカだ」(作中のセリフ)
(デジタルのマスタリング前)
「冗談じゃない。不条理文学にも色々あるんだ。例えば...」
「俺は兵士だから不条理枠は一つあればいい」
♪グラスで氷がカラカラ音立てた/あなたは静かに目を逸らした/セルリアンブルーのイブニングドレス/肩口を転げ落ちるため息/♪つまり僕達のミステリー/答えを僕が先に読んだ/これから後すごす時間は/僕にはただ苦痛なだけ/すなわち今夜でさようなら.....(さだまさし「推理小説」)
ドカベンのわびすけ
侍ジャイアンツの番場蛮のエビ投げハイジャンプとウルフチーフのヘリコプター打法
漫画や小説というものは、このような手間をかけて「手の内を見られないように」あの手この手で工夫している。「フフフ。びっくりするよ」と。それはある意味楽しい作業でもあり、その道筋を構築するのが文脈、文体なのだが、「鶴の恩返し。見るなのタブー」で、例えば作家がテレビやネットで「次作のヒントなのですが...」▶即座に自分の生成AIで検索して、「これでしょ」と作家に読んで聞かせたらどうなるか。
ファンならまだしも、敵対的に、あるいは圧政の言論封じで「先回りした大雑把な枠」
で塗りつぶされたら、文学なんて書けなくなる。書く気がなくなる。僕の前回のデイブリーロスのAR(拡張現実)のように。
新聞やテレビの記者でいえば、締め切り間際にデスクに電話を入れたら「キーワードだけ早く喋れ。チャットGPTで作るから」と手柄をAIに横取りされるようなものかな。
「じれったいな。早く言えよ」「それはもう知ってるって」「もう書かなくていいよ」
そういう情報環境に合わせて文体も変わるだろうし、これは...地獄である。
僕はアマチュアだし、演劇畑だからまだいい方だけど。ヤバいぜ。やる気がなくなる。あらゆることが。