「不条理とは、原因と結果が合致しないこと」という要約パネルに出逢ったのは、早稲田演劇博物館のブレヒトのコーナーだった。演劇の「異化作用」は、表現者がわざと論点をズラす事で相手に「ん?それっておかしくね?」と情報を噛み砕いて考える機会を促す事で、単なる記号から知識に価値の変貌を遂げるテクニックなのである。
バスケのゴール
丸山眞男もよく「わざと変なことを云う」教授法を使ったらしい。最近の言葉でいえば「スピンドクター」かな。
例えば本の書評やコラム等でも「これは有名な話だが書肆侃侃房が...」「誰も知らねえよそんな出版社!」と仕掛けてくるのは博識自慢だけではなくて、読者の「無知無明の恥」の痛い所を刺激して、ブレヒトの異化作用で学びの土壌を耕そうとしているのである。
カルチベート。文化。耕す。カルチェのライター。エトセトラ。
映画「ザ・カンニング IQ=0」
コスパにタイパ。便利とマネタリズム末期の時代とはいえ、チャットGPT問題が「罪」の観点でしか語られないのが恐ろしい。
音楽家の友人宅で彼のアルバムを一緒に聴いていた時に「おお!このストリングスのアレンジすごいじゃん。さすがプロだね」と言ったら「こんなのナンチャッテだからね。教授(坂本龍一)のアレンジとは月とスッポンだから。教授は東京藝大で体系的に音楽理論を学んだんだから勝てるわけないんだよ」「いや、俺の耳にはこれで十分なんだけど」という会話を自宅スタジオでよくしていた。
「見よう見真似」や「下手」や「知ったかぶり」は「恥!」という文化の土壌がまだあったからね。
本人は「これは自分に向けて戒める内省的な言葉であって、他人に向けるものではない」と説明しているが、記号を挿入すれば説明を省ける。
「恥」を知れ。
ハワード・ジョーンズ「かくれんぼ」の「What is love?」
セクハラだのアカハラだのと被害者意識で人を刺す時代の「恥」の伝え方にもテクニックが要るけどね。
生成AIによる「なんちゃって知識」はこの体に受肉するのだろうか。
普通のGoogleで十分なんだけど。