科学が持ち得ないもの

原武史政治学者)

天皇制の研究に詳しい原武史が以前、新聞の特集で「日本人というのは外国人から見るとサンリオのキティちゃんみたいにもの静かな民族に見えるらしいのですが、歴史を辿っていくと、天皇が動いたり、ゴーサインを出すと人が変わったように活動的になる側面があるんです。」と言っていて興味を持った。

室町幕府足利尊氏が「日本国王」を自称しながらも民衆の支持を得られず陰で笑われてたり、全盛期の織田信長が、天皇を的にかけようと謀っていたら明智光秀に焼き殺された説とか、不思議なことは多々ある。

両面宿儺(呪術廻戦)

週刊現代デジタルより引用 ①)

大嘗祭天皇の資格」をもたらす「謎の秘儀」で何が行われるのか。
皇室最大の儀式の内幕
稲田 智宏 

天皇が正殿内で行う「秘儀」
そしてまた不思議なのは、正殿の内陣中央に設えられた寝具の存在だろう。

この神座は文献によっては寝座(しんざ)とも表記されているのだが、儀式の中心となる神饌供進のための神座は内陣の脇で、寝具が中央に置かれているのはなぜだろうか。

TATOO「Dreamy Butterfly」

(引用 ②)

この寝具の解釈については今から約30年前、平成の大嘗祭のときに大きく話題となっている。
新嘗祭にしても、そして大嘗祭にしても、正殿内における祭儀の詳細はすべてが明らかにされているわけではない。

そこで民俗学者にして古代学研究の折口信夫は、昭和の大嘗祭の直後、


大嘗宮正殿内の寝具は『日本書紀』で高天原から降臨する瓊瓊杵尊ニニギノミコト)がくるまれた真床覆衾(まとこおふすま)に比せられるものであり、
これに籠もることによって天皇霊もしくは稲魂が天皇に憑いたのではないかとする仮説を発表した。

虎杖悠仁から伏黒恵に「受肉の器」のくら替えをした両面宿儺(呪術廻戦)

(引用 ③)

天皇霊とは折口によれば、
天皇としての威力の元となる霊魂であり、稲魂は新しい歳を支配する威霊である。

宿儺の完全体

(引用 ④)

やがて、大嘗祭において天皇は寝具に籠もる秘儀を行うという理解が、定説のように拡がった。

このような状況に対して、
平安期以降の文献からは、天皇が寝具に関わるとの理解は得られないことを検証し、折口説否定を強く打ち出した反論が注目を集めた(岡田莊司『大嘗の祭り』平成2年)。

しかし文献のみに依拠した否定は、失われている古代の意義を、様々な事例から探ろうとする民俗学への無理解だといった批判(松前健など)もなされている。

中森明菜「1/2の神話」

(引用 ⑤)

折口の説は、折口自身が「今はどうなさって居られるか、我々には訣(わか)らない」「容易に一面からのみは説明することが出来ない」という仮説でありながら、過剰に評価されたため、反動による拒否感も強まったが、ひとつの学説としての価値は失われていないと個人的には考えている。

だが少なくとも現状では、確実な史料に拠らない推論を補強する学問的な進展はないようで、残されている史料に拠る限りは、あくまでも神饌供進が祭儀の中心であって、
寝具は祭神の天照大神がお休みになる場で天皇は触れることもない、と実証主義の学問的成果としては考えざるをえないようである。

原武史天皇は宗教とどう向き合ってきたか」

小室眞子さんと秋篠宮佳子さまが卒業したキリスト教系の国際基督教大学ICU

(引用 ⑥)

中世の文献には神饌供進が「大事」で「秘事」と記されており、大嘗祭に秘儀があるとすれば、このことになるのかもしれない。

ただ、現在の大嘗宮での実際が部外者には知るよしもないという意味で、謎は依然として謎のままといえよう。

原武史「“女帝”の日本史」

ザ・ドリフターズ

▶ 後半戦行ってみよう。

吉本隆明共同幻想論

Wikipediaより引用 ①)

共同幻想論とは:
幻想としての国家の成立を描いた国家論である。
当時の国家論は、集団生活を成立させる機能として国家を作ったという社会契約説や、
国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論が一般的であった。

つまり、国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムなのである。

しかし、吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。

位相・波羅蜜・光の柱(五条悟)

Wikipedia

人間は、詩や文学を創るように、国家と言うフィクションを空想し、創造したのである。これはルイ・アルチュセールイデオロギー装置論に似ている。

人間は自分の創り出したフィクションである共同幻想に対して、時に敬意を、時に親和を、そして時に恐怖を覚える。

特に、原始的な宗教国家ではこれは顕著である。

その共同体で、触れたら死ぬと言い伝えられている呪術的な物体に触れたら、自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。

三条友美「きりきりぎったん」

Wikipedia

個人主義の発達した現代でも、
自己幻想は愛国心ナショナリズムと言う形で、共同幻想に侵食されている。


共同幻想の解体、「自己幻想」の共同幻想からの自立は、現在でもラジカルな本質的課題であると吉本は指摘している。

吉本は血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。

兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の「対幻想」とは違って、肉体的な性交渉を伴わない「対幻想」なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。

吉野朔実「ジュリエットの卵」

Wikipedia

兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、
国民は心理的な一体感を共有し、

幻想としての国家が成立するのである。

逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。

中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している。

大和岬と氷室将介(月下の棋士

Wikipedia

また、吉本にとって、高度な経済力や科学力を持っていた近代国家である戦前の大日本帝国が、
やすやすと天皇制と言う、宗教性の強い古代・中世的な政治体制やイデオロギーに支配されてしまったことは大きな難問だった。

吉本は、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張し、
政治体制は経済体制に規定される(唯物史観)とするロシア・マルクス主義を批判する。

埴谷雄高「死霊」

Wikipedia

その試みは、吉本にとってロシア・マルクス主義からの自立であって、少年期に骨の髄まで侵食された天皇制と言う「共同幻想」を意識化し、対象化し、相対化しようという試みでもあった。

宿儺とリカちゃん(呪術廻戦)

五条悟の虚式の舞い(呪術廻戦)