映画「狂熱の孤独」1953年
さて。埼玉県民は埼玉県民らしく閑静な住宅街で大人しく暮らすことにしよう。
選挙というものは野球の早慶戦みたいな所があって、ルールや選手の顔と名前とポジションが一致しない通りすがりの傍観者も巻き込んで行くような不思議な力がある。
宗教団体の創価学会の人達が、選挙になると五体投地して電話をかけまくったり突撃訪問したりするのも、宗教と選挙に共通する興奮物質があるのかもしれない。
Wikipediaより引用 ①
確証バイアス(英: confirmation bias)とは:
認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、
反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。
認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。
追認バイアスともいう。
・ウェイソン選択課題
図のような4枚のカードは、片面には白地に数字が書かれ、もう片面は何色かで塗られている。
「片面に偶数が書かれた全てのカードは、もう片面が赤色である」という仮説を実証または反証するために、
どのカードを裏返す必要が発生しうるか、と尋ねられたとする。
この解答としては「8と赤色のカード」あるいは「8のカード」が多い。しかしながら、両解答とも、8のカードの裏が赤色でなければ反証できるが、赤色であっても実証を完了しない。また、前者の解答では、赤色のカードを裏返すのが余計である。
与えられた仮説は「全てのカードは、片面に偶数が書かれていないか、もう片面が赤色である」「片面に偶数が書かれていてかつ、もう片面が赤色でないカードは、存在しない」と同義である。
同説を反証するには、「片面は偶数でかつ、もう片面は赤色でない」カードを探し出すことが必要十分である。
一方で、同説を実証するには、「片面は偶数でかつ、もう片面は赤色でない」可能性を予期すべき全てのカード、すなわち偶数のカードと赤色以外の色のカードを全て裏返し、どれも該当しないことを確認することが必要十分である。
▶ したがって、8と青色のカードを裏返すのが正解である。
赤色のカードを裏返して確認することは、一見、仮説を支持するように思えよう。しかしながら、このカードは出題時点で既に「仮説に反しないカード」と分かりきっているだけであり、仮説の実証にも反証にも寄与しない。
赤色のカードを裏返してしまうという論理的誤りは、確証バイアスと関係があるとは考えられなかった。
しかし、ウェイソンは確証バイアスを用いて、「青色のカードをひっくり返して偶数かどうか確かめなかった」と仮説を反証するために情報を集めようとせず、不正解に答える人が多いという結果を説明した。
芥見下々「呪術廻戦」①
「偶数ならば赤」を実証するには、「赤ではければ偶数はない」の実証も要する、ということを考慮しなければ、
誰かが意図的に
「人目に付く偶数が見えるカードの裏は絶対に赤色である」と仕向ければ、「偶数のカードの裏は赤色である」という仮説は成り立つかのように思い込まされてしまう。
呪術廻戦 ②
ウェイソン選択課題が言いたいもう一つのことは、現実には「偶数 → ¬ 赤」と「¬ 赤 → 偶数」という反例を観察しても、人々の考え方、つまり「偶数 → 赤」という仮説に対する先入観は変わらないということである。
・確証バイアスの例
グレゴール・ヨハン・メンデルが論文で報告した実験データの一部が、
「メンデルの法則の理論値に合いすぎている」として、
確証バイアスによってデータの作為的な選別が行われたと推測され批判された、という過去の事例があり、現在でも極めて著名である。
しかし、その批判の一部にもまた問題があったことがわかっており、再検討の結果は2008年に公刊されている(詳細は「メンデルの法則#メンデルの実験データと理論の整合性について」を参照)。
社会情動的選択性理論のイマジン図
・実社会への影響
ソーシャルメディアでは、フィルターバブル、または「アルゴリズム編集」を使用することで、
自分が今まで見てきたウェブとは反対意見のウェブをみる機会が、自動的に減っていくため、確証バイアスが増幅される。
確証バイアスは、社会がフィルターバブルの影響から逃れられない理由だと主張される。
なぜなら、人は自分の価値観や信念に一致する情報を探そうとする、生来の心理的な傾向を持つためである。
水の支配数量と水による満足の参考図
この「アルゴリズム編集」は多様な視点や情報を取り除いており、
フィルターバブルを無くさなければ有権者は十分な情報に基づいた政治的決定を下すことができないだろうと主張される。
かわぐちかいじ「イーグル」