労働意識の役割分割/高齢者に成長ノルマは苦痛

デイサービスの脳トレのレクリエーションの風景

2025年に75歳、2035年に85歳になる団塊の世代は「認知症の未体験ゾーン」が気になりだしてる頃だと思うけど、僕らベテラン陣に言わせれば「BPSD(周辺症状)の問題行動が出なければ、まったく問題ない」と本当に思っている。

要はHIVエイズ)と同じで困難事例にならなければいいだけなのである。

悪気があって物忘れするわけじゃないし、子どもの名前や日付を忘れたくらいで「存在」は消えたりしない。

勤勉な日本社会の空気として、脳トレやリハビリ等にも「成果主義」を求める傾向があるが、ナンセンスである。

総貯蓄の7割は高齢者が持ってて経済的余裕がある家庭が多いんだし。

▶ だからバリバリに飛べる若くて優秀な世代には、寄り添うとか哀しみの共有とか押し付けないで、思う存分飛び回れるように二種類の労働環境と労働意識を分けて、整備するべきだと思いませんか。

中途半端な偽善を道連れに沈んで行くよりも。

NHKのチコちゃんみたいなマセガキは政治家に直接ああいうことを言えばいいわけで、老人のボーっとした穏やかな時間帯は「ナチュラル・ニルヴァーナ」なんだけどね。