便所の中まで監視するような気狂い沙汰は

今後も続くだろうが、その半分は被害妄想という精神病で、皮肉な事に生成AIが犯人とすり替わることで有耶無耶なままクレイジーが加速するだろう。「誰かに見られてる」あれのことね。昔は幽霊が担ってた役。

演劇の「舞台に立つ肉体」は通常時は見せない喜怒哀楽や感情のゆらぎを露わにする。舞台初心者には耐え難い苦痛が伴う。演出、批判が入るからだ。慣れるとその分面の皮が厚くなるのだけど、内部(内蔵ではない)の構造が変わる。そうなれればいいのだけど、大概は急所をさらけ出したまま歩いているようなものだからね。金持ちも貧乏人も。

「対話型AI」と言ったって、人間や猫相手の対話なら「存在」の触れ合いがあるけど、ただの機械が編集した点滅信号だからね。wikipediaだって人間が書いてるでしょう。

言葉や感情の交換で示されるのは、「回答、ノウハウ等の顔をした虚無」だから絶対体に悪いと思うよ。

虚無の恐ろしさを知らないだろう。