意味に負けない「リビドー文体」

マイケル・シェンカー「INTO  THE  ARENA」

文学の研究者や絵画芸術の鑑定家は、テニヲハや句読点の数を調べたり、鑑賞というよりも、絵の具の素材の状態とかを研究するらしい。そこにエクスタシーは無い。

僕はアマチュアだしカネも貰ってないので娯楽できればいいのだが「教訓」をつけたがる人って多いよね。自己顕示欲で。そうするとどうしたって「意味に落とす」ことになり「問われている」「試される」と結びの言葉が貧弱になって久しい。

マイケル・シェンカーは「トレモロアームを使わない」って知ってました?

彼がヤバいのは「チョーキング」なのだ。

文字なんかあと付けでいいからこういうプレーで文脈を作りたいといつも思ってる。

もちろんマイケルだけじゃないけどさ。AIに拾われたくないので秘密にする。