影の描き方の違和感

澁澤龍彦「黒魔術の手帖」(河出文庫1983.12.3初版発行。2004.9.30/35刷発行)

本棚の掃除をしていて、紙の本によくある「ゾーン」で待っていたかというようなのが何冊か出てきて、この本をパラめくり。栞を入れていたわけではないが、P.120―P.121が出てきた。辞書習慣の功徳かな。

このエリファス・レヴィの書による「両性神バフォメット」の図をしげしげと鑑賞すると、以前は気が付かなかったが、野球のストライクゾーンで言えば右バッターのインハイに白い三日月と影(雲かな)。アウトローのコースに黒い三日月で影無し。AIで着色すると黒ではないかもしれない。

腕は天上天下唯我独尊のように上下の対称の印だが、指は二本で五条悟の無量空処のようには結んではいない。

耳は水平で、顎を起点にしてキングギドラみたいに生えている三本の角の、カブトムシみたいな真ん中の角も三つに分岐してその上に卵が乗っているような影が炎のようなゆらぎで描かれている。等々

ちょっと六眼のブラッシュアップをしよう。

葛飾北斎の波の絵

ギリシャローマ神話もそうだが、神々を擬人化(或いは人間を神格化)して物語を紡いでいるが、澁澤龍彦も「悪魔」をその辺にいる変なオッサンのような筆致で書いている。

▶ 121頁に進んでみよう。(以下引用)

中世の夜宴(サバト)は、古代のバッカス祭やプリアプス祭の復活のような形で、もっぱら田舎の野外で行われていたのに、近代にいたると、それが都市の教会内部に侵入し、黒ミサという名で呼ばれるようになった。貧しい民衆の開放的なお祭騒ぎが、時代とともに、だんだんと秘密めいた、陰惨な、密室犯罪的な形に変化して行ったのである。こうして黒ミサは、民衆には縁遠い、貴族の専有物となった。

言葉を変えれば、キリスト教の権威が次第に各階層にひろまるにつれて、悪魔が民衆を集めて、悪魔自身のお祭りをする余地がなくなり、教会内部に逃げこんだというわけなので、黒ミサとは、要するに、悪魔がキリストの権威を借り、教会の武器を逆用し、神聖なミサを汚すことによって、なんとかして自分の力を認めさせようとする、苦しまぎれの反抗の形式なのである。

したがって、黒ミサを執行する司祭は、もぱら「悪魔」と取引をむすんだキリスト教の破戒僧であった。悪魔はついにキリスト教にとって、獅子身中の虫となったのである。

黒ミサの起源は、一般に中世フランスの南部にひろまり、十二世紀の終わりごろ法王グレゴリオ九世の命によって●殺(鹿の下に金)された、キリスト教異端アルビ派から出ていると言われているが、はたしてこのアルビ派がどの程度、実際に悪魔礼拝にふけっていたかについては、たしかな証拠はない。

エリファス・レヴィの意見によれば、アルビ派とは、善悪二元論を信じるゾロアストル教の頽廃した形だそうであるが、しかし、この一派は、一名純潔派といわれている通り、きわめて厳格な戒律をもった、禁欲的な集団だったことも事実のようである。また、キリストの化肉や十字架の象徴を認めないグノーシス的な聖堂騎士団の流れも、古くから両性神バフォメットを崇拝し、黒ミサ的な秘儀を行っていたと信じられている。

歴史にあらわれた最初の有名な黒ミサの例をあげるとすれば、まず十五世紀の怪物ジル・ド・レエ元帥の、血なまぐさい嬰児殺しに指を屈しなければならないが、ここでは、エリファス・レヴィの文章を借りて、十六世紀フランスの女傑カトリーヌ・ド・メディチと、その子シャルル九世の、ぶきみな悪魔礼拝の模様をお伝えしよう。.....(澁澤龍彦「黒魔術の手帖」より)

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ではまた。