ふるべゆらゆら稗田阿礼/アメリカの一般庶民の土着の宗教観を知りたい。

折口信夫

▶ ぼくは一応プロテスタント系の大学を出たので聖書を持っている。キリ概は必須科目だったから。今でも年に数回読むけど呪力を感じる。仏教徒ではあるけれど。

伏黒恵と両面宿儺(呪術廻戦)

Wikipedia引用 ①)

大化の改新(たいかのかいしん)は、
皇極天皇4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮の乙巳の変に始まる一連の国政改革。

狭義には大化年間(645年 - 650年)の改革のみを指すが、広義には大宝元年(701年)の大宝律令完成までに行われた一連の改革を含む。改革そのものは、年若い両皇子(中大兄、大海人)の協力によって推進された。

この改革によって豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされている。

この改革により、「日本」という国号及び「天皇」という称号が正式なものになったとする説もある。中大兄皇子中臣鎌足は、退位した皇極天皇に代わり、弟の軽皇子を即位させた(孝徳天皇)。その孝徳天皇即位の直後から新たな時代の始まりとして日本で初めての元号「大化」を定めたとされる。

改新の歴史的意義や実在性については様々な論点が存在し、20世紀後半には大きく見解が分かれていた。しかし21世紀に入り、前期難波宮の発掘調査による成果や7世紀木簡の出土などにより、当時の政治的変革を評価する傾向が主流を占めるようになっている。

▶ 西暦645年ということは「古事記」「日本書紀」は、大化の改新以降に編纂されたんだね。

伏黒恵と式神の魔虚羅

Wikipedia引用 ②)

稗田阿礼
日本の飛鳥時代から奈良時代の官人。『古事記』の編纂者の1人。

稗田 阿礼 (ひえだ の あれ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人。『古事記』の編纂者の1人として知られる。

稗田阿礼については、「古事記の編纂者の一人」ということ以外はほとんどわかっていない。同時代の『日本書紀』にも、この時代の事を記した『続日本紀』にも記載はない。

古事記』の序文によれば、天武天皇に舎人として仕えており、28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられたと記されている。

元明天皇の代、詔により太安万侶が阿礼の誦するところを筆録し、『古事記』を編んだ。

時有舎人。姓稗田、名阿禮、年是廿八。爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。即、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。(『古事記』序)

訳:
そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。
年は28歳。聡明な人で、目にしたものは即座に言葉にすることができ、耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった。

すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。
『斎部氏家牒』では、宇治土公の庶流であり、天鈿女命の末葉であるとされる。

 賣太神社(奈良県大和郡山市稗田町) 

▶ ヒュー・ヴィックス・バイダーベック

冒頭の詩「幽霊になった男の話をしよう」

内田善美「星の時計のリデル」

▶ 異説
通常「舎人」といえば男性だが、江戸時代に「稗田阿礼は女性である」とする説が提起された。

平田篤胤は『古史徴開題記』の中で「阿礼は実に天宇受売命之裔にて、女舎人なると所思たり。」と述べている。
民俗学者柳田國男、神話学者の西郷信綱らも同説を唱えた。

その根拠として、稗田氏は天鈿女命を始祖とする猿女君と同族であり、猿女君は巫女や女孺として朝廷に仕える一族で(ただし、『政事要略』には「右少史猿女副雄」という男性の官人が見える)、
「アレ」は巫女の呼称である、ということ、がある。
例として孝霊天皇の妃の一人に意富夜麻登久邇阿礼比売命がいる。

ただし、『造伊勢二所太神宮宝基本記』には「伊己呂比命男、大貫連大阿礼命」と記されており、「阿礼」はそのまま巫女のみを表す言葉ではない。

また『古事記』には、『日本書紀』と比べ、女神や巫女的存在の神を重要なものとして登場させている箇所があることも、女性説を裏付けるとの意見もある。
(例として、伊邪那岐命の禊祓の際、男性である命の身につけているものの中に、婦人がつける「裳」が入れられていること。

古事記オリジナルの神に伊豆能売(厳媛)という巫女的役割を持つ神がいて、しかもそのエピソードが神出現の場面(禍津日神)に登場していること。

また天照大神須佐之男命の誓いの際に、『古事記』では『日本書紀』とは反対に、女神の出現によって勝のしるしとすること。)

近年、梅原猛が『古事記』の大胆で無遠慮な書き方や年齢などから、稗田阿礼藤原不比等の別名ではないかとの説を唱えている。

▶ さすがに疲れたな。スライダーでパロールを作る元気もない。

今でも形を変えながら日本に遍在している「土着の言霊信仰」の泉に、

「幽」と「御阿礼(ミアレ)」という名前があることを週刊現代の記事で知った。

言葉でコミュニケーションや意思の疎通をする事が多いのが人間だから、アメリカや中国の一般家庭にも、そういう「磁場」があるのだと思う。

それに興味がある。