劇場型経済学

パントマイムのマルセル・マルソー

▶ 負の数の起源(Wikipedia引用)
長い間、問題に対する負の解は「誤り」であると考えられていた。これは、負数を実世界で見付けることができなかったためである(例えば、負数のリンゴを持つことはできない)。
その抽象概念は早ければ紀元前100年 – 紀元前50年には認識されていた。

中国の『九章算術』には図の面積を求める方法が含まれている。赤い算木で正の係数を、黒い算木で負の係数を示し、負の数がかかわる連立方程式を解くことができた。

紀元後7世紀ごろに書かれた古代インドの『バクシャーリー写本』は"+"を負符号として使い、負の数による計算を行っていた。これらが現在知られている最古の負の数の使用である。

プトレマイオス朝エジプトではディオファントスが3世紀に『算術』で 4x + 20 = 0 (解は負となる)と等価な方程式に言及し、この方程式はばかげていると言っており、古代地中海世界に負数の概念がなかったことを示している。

岩井克人「欲望の貨幣論

▶ 負数は現代まで十分に理解されていなかった。つい18世紀まで、スイスの数学者レオンハルト・オイラーは負数が無限大より大きいと信じており(この見解はジョン・ウォリスと共通である)、方程式が返すあらゆる負の解を意味がないものとして無視することが普通だった。

レオンハルト・オイラー

▶ 負数が無限大より大きいという論拠は、1� の商と、x が正の側から、 x = 0 の点に近づき、交差した時何が起きるかの考察によって生じている。

虚式「ムラサキ」(呪術廻戦)