挨拶と文化圏

ゴダイゴ「ハピネス」

1975年結成のゴダイゴGODIEGO)は「日本のプログレッシブ・ロックの草分け的存在」とWikipediaにあった。

タケカワ ユキヒデは音楽家の家系。

1952年、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)に生まれる。5歳からヴァイオリンを、10歳から作曲を始める。

母方曽祖父が国産ヴァイオリンメーカー鈴木バイオリン製造創業者の鈴木政吉。
母方大叔父に、ヴァイオリン教育のスズキ・メソードで名高い鈴木鎮一がいる。
また、父方の祖父は判事の武川佳海である。

父は、『「第九」のすべて』(芸術現代社)などの著作がありベートーヴェン研究家、音楽評論家として著名な武川寛海という音楽家の家系。

埼玉県立浦和高等学校東京外国語大学国語学英米語学科卒業。

早見優のように「英語が得意」というふれこみにも学歴という根拠があった訳で、五条悟が言うように、「勉強」はいつか何らかの形で報われる最も安全な資本形成なのかもしれない。

バンド名のGO―DIE―GOのシンクレティズムの造語は、分子生物学のTURN OVER理論をプログレッシブした言葉遊びになってるし、GOD―I―EGOに分解再組成するとフロイトの「超自我・イド・自我」の心理学にもつながってくる。

ゴダイゴガンダーラ

僕が大学時代に所属した軽音楽サークルは、100人規模の大所帯だったので、先輩に「ホテル・カリフォルニア」(イーグルス)の歌詞の怖さを解説してもらったり、「歌詞の翻訳はスラングもあるので難しい」と教えてもらった。その発想で行くと、ガンダーラ美術やガンダーラ地方は実際に存在するが、タケカワユキヒデがイマジネーションしていたのは「涅槃/ニルヴァーナ」だと思うのだが、そのタイトルだと「ザ・ベストテン」に出演して布施に頼らず仏法の世界観を広くオンエアすることはできないのが想定されたので、スライダーをかけたのだろう。

日本の仏教は葬式仏教の色が濃いからね。

シーラカンス

▶ 冠婚葬祭で、人は必ず死ぬというケインズも言ってる岩盤層のシェアを獲得した日本の仏教は、暗い印象を引きずり、自民党のように手堅い地盤に安住して進化しなくなってしまった。

ゴダイゴ「ナマステ」

ナマステとはインドの挨拶のことだが、歌謡曲は時代と世間の鏡なので、この曲には「ハーロックのマユのオカリナ」みたいな間奏があったり、全体として「お仏壇のはせがわ」みたいな忌避と哀愁の漂う曲になってしまった。

では挨拶とは何か?辞書を引いてみた。

(goo辞書より引用)

あい‐さつ【挨拶】 

[名](スル)《「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと》

1 人に会ったときや別れるときなどに取り交わす礼にかなった動作や言葉。「—を交わす」「時候の—」

2 会合の席や集会で、改まって祝意や謝意などを述べること。また、その言葉。「来賓が—する」

3 相手に対して敬意や謝意などを表すこと。また、その動作や言葉。「転勤の—」「なんの—もない」

4 (「御挨拶」の形で)相手の非礼な言葉や態度を皮肉っていう語。「これは御—だね」

5 やくざや不良仲間で、仕返しをいう語。

6 争い事の中に立って仲裁すること。また、その人。「—は時の氏神

7 応答のしかた。口のきき方。

「馴れたる—にて」〈浮・一代男・二〉

8 人と人との間柄。仲。

ブラフマナス・パティ(リグ・ヴェーダ)の我流のイコン(チャリティー・チューン)

合掌印は組んでないけど、これなんかは典型的な「ナマステ(挨拶)」なんだけどね。

「面白い」の語源は「顔が明るい表情になること」なんだけど。