ラントのホログラム(葬送のフリーレン)
▶ ギリシャ語の「イデア」(形という意味)には、英語の ideaにある「観念」の意味はありません。英語ではギリシャ語の「イデア」の訳語に、ideaではなく form を当てるのが通例です。(出口治明「哲学と宗教全史」より引用)
高校球児にバッティングフォームのコーチをするイチロー
▶ 上記でイチローが行っているのは打撃のコーチング(教育)であって、打撃の入れ知恵ではない。
プロキシサーバーの概要図
ラントとゼーリエ(葬送のフリーレン)
エコーチェンバー闘争のイメージ図
(Wikipediaより引用)
「万人の万人に対する闘争」(羅: bellum omnium contra omnes, 英: the war of all against all)とは:
トマス・ホッブズが1642年の『市民論』(De Cive)、及び1651年の『リヴァイアサン』(Leviathan)での思考実験において、彼が考える自然状態における人間の有様を表すために持ち出した表現を言う。
「万人の万人に対する戦い(闘い)」、「万人の万人に対する戦争」などとも訳される。
ちなみに、プラトンの後期対話篇『法律』第1巻 第3章 (626D) には、元ネタとも言える「(公的には) 万人は互いに対して敵である」という表現が出てくる。
主著として有名な『リヴァイアサン』で書かれたフレーズと勘違いしている者も多いが、
ラテン語による「bellum omnium contra omnes」のフレーズ自体は、ラテン語で書かれた前著『市民論』(De Cive)内で用いられたものである。
・背景
これらの著書が書かれた当時は、清教徒革命の真っ只中であり、その野蛮で混乱した社会状況が、ホッブズのこのような人間観に影響を与えたと考えられる。
・リヴァイアサンの語源
その名前は「結合させる」「編み込む」を意味するヘブライ語 לוה lwh に由来するとされ、「ねじれた」「渦を巻いた」を意味すると考えられている。
この語は海中にいる大きな生き物全般を指す言葉としても使われたが、現代ヘブライ語ではクジラの意味である。
ディスコのミラーボール
▶ テロ捜査とAIというと、すべての人を監視すれば、コンピューターに誰がテロリストであるかを学習させることができると考えられがちです。そんなことはできません。テロリストは異常値なのです。
当然のことですが、ほとんどの人はテロリストではありません。テロリストは全体の母数からすると極めて希少な例外的な存在です。
その結果、フォルス・ポジティブの比率が極めて高くなり、テロリストではない人たちを特定してしまいます。他方でフォルス・ネガティブ比率、つまりテロリストをテロリストではないと特定してしまう確率も非常に高くなります。
これがAIの問題です。
(エドワード・スノーデン語録より引用)
トーキング・ヘッズ「サイコ・キラー」
映画「時をかける少女」
現代の思想家や一般庶民は、マクルーハンの視座から、SNSや生成AIや選挙を、どのように象徴化して取捨択一するのだろう。
ディスコのミラーボール ②
勇者ヒンメルの缶バッジ
これは、たがみよしひさの「突然二頭身画法」の応用の崩しのジョークなのだが、ネット上のシャレがわからない人は「残念なイケメン」等とレッテルを貼る派があるらしい。
だがこれを
大泉りか「ホス狂い」
真正面から信じ、没入して推しきろうと自己犠牲に走る人などには、宗教的な自己研鑽の欲求も感じるんだよね。
つかこうへい
本人・本物からのライブの情報伝達ならともかく(意見百出としても)
プロキシーサーバーのような、出どころ不明で匿名・間接に伝達される情報を「リアル」と感じてしまうのは、オタク用語でいえば「2次元コンプレックス」に近いと思うんだけどね。僕は。
映画「クリーン、シェーブン」
(Wikipediaより再引用)
・自己モニタリング機能の障害
自己と他者の区別を行う機能である自己モニタリング機能が正常に作動している人であれば、空想時などに、自己の脳の中で生じる内的な発声を、外部からの音声だと知覚することはないが、
この機能が障害されている場合、外部からの音声だと知覚して幻聴が生じることになる。
ではまた。