京都大学哲学科出身の梅原が西田幾多郎哲学やニーチェや一通りの西洋哲学を研究した後、宗教に取り組んだのはそれが分厚い思想の体系だからである。
最澄と空海が渡航して仏法を学んだ唐の天台智顗が提唱した「草木国土悉皆成仏」を梅原がリ・ボリュートしたのが彼の晩年の思想。「人間だけではなく草木も土もどんなものでも成仏する。」という意味だが、昨日のブログの「プラトンとアリストテレスの形相と質料」を再掲出すると
(再)質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。
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この「不動の動者(最高善、プラトンのイデア)」が「草木国土悉皆成仏」のニルヴァーナ(涅槃)なのだと思う。
以前この曲の批評で、「自身もドラマーである屋敷豪太が打ち込んだ曲の6分15秒近辺でスネアを2発入れて区切りをつけている」と書いたのは、「このリズムはマシンのスイッチを切らない限り止まらない。退屈しようが体を壊そうが。労働基準法に違反しかねない」とfeelしたからである。
生成AIだけではなく、核兵器や各種ハイテクノロジーもそうだけど、プラトンのイデア(最高善)や涅槃を追い越して加速・膨張し、生物を機械仕掛けの人形・奴隷化していく傾向があると思う。
そこには「善」も「悪」もない。ドゥルーズ=ガタリの言う「戦争機械」とかね。
それはネット上の集合無意識の集積したアルゴリズムで表象されるのかもしれないが、このままの勢いで開発が進んで行くと「神様すらも追い越していくクレイジー・クラウド」になりかねない。
楽観的すぎる気がするけど。「正常性バイアス」が働いているのだろう。
「自分だけは大丈夫」という、津波で逃げ遅れるアレのことね。