美と消費

VOGUE JAPAN  2024年5月号

今月号のVOGUEには珍しく資生堂が出稿していて驚いた。資生堂は日本国内ではTOYOTA車のようにポピュラーだが、島国ゆえにドメスティックになりがちな歌謡曲や文化の環境下では「世界のサカモト(坂本龍一)」のような民族の誇りを背負ったブランドなんだよね。「脱亜入欧コンプレックス」のある我々にとってホッと一息つける居場所感覚がある。これが表紙のショルダーコピーの「ハイブリッド・ビューティー」のヒントなのかな。

虎杖悠仁と両面宿儺(呪術廻戦)

山口小夜子資生堂のモデル)

資生堂花椿 HANATSUBAKI」新装刊0号

▶ この雑誌で連載(1970年〜1971年)していた澁澤龍彦「女のエピソード」によると「飽きる事は次の獲物を求める事。」と高度消費社会について書いている。

文庫版から引用すると:

スペインのオルテガという哲学者が「サロメという女は、現在ならば、さしずめ銀行家か、石油王の令嬢といったところだろう」と書いているのも、同じ意味からだったと思われる。

こういう我がままな女は、同時にまた、飽きっぽい性質でもあるのである。たぶん、サロメの熱い空想は、彼女の望みの愛の対象(つまり斬り落とされたヨハネの首)を手に入れるとともに、たちまち冷めてしまうに違いない。空想と現実との違いに、彼女はただちに気づかされる。それで、サロメはふたたび肉食獣のように、新たな獲物に向かって飛びかかって行かねばならなくなる。

サロメは永遠の不満足の化身、つまり、冷感症なのである。

心理学者のシュテーケルが正しく指摘しているように、ニンフォマニア(女性の色情狂)と性的冷感症とは、楯の両面にすぎないのである。一見すると、サロメの奔放な行動は、熱い肉体の燃焼を思わせるが、熱くなっているのは、あくまで彼女の頭の中の空想だけなのである。

しかしサロメのような冷感症の女は、男にとって、決して魅力がないわけではないのだから、困ったことではある。(澁澤龍彦

PUFFYアジアの純真

ではまた。