この本にも出てくる「塔に幽閉されたお姫様の比喩」は、物語の呼吸の骨太の型で「パターナリズム」と関係がある。
両面宿儺に実効支配された伏黒恵(呪術廻戦)
鬼の血を浴びて発狂した竈門禰豆子(鬼滅の刃)
(Wikipediaより引用)
パターナリズム(英: paternalism)とは:
強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。対義語はマターナリズム。
実力が無い、または劣ることが判明しても即解雇にはならない雇用制度や、成果よりも企業への在籍期間で出世や給与が決まる年功序列制度の企業のように、労働者を子として面倒を見ているような企業運営を「経営パターナリズム」「経営家族主義」とする。
医師と患者の関係では、提供者・受領者として非対称の関係であり、以前はパターナリズムは患者の利益(生存、健康)を保護するためであるとして、医師が患者に干渉し、その自由・権利に制限を加えることを当然視する傾向があり、自己決定権の侵害が問題となった。
患者のウェルビーイングは医師が決める事では無いからである。ただし、幼児を含む未成年者、中毒(依存症)者や、自傷行為・暴力的言動をする者への干渉は制度に従って認められることが多い。
・名称
日本語で父権主義、温情主義と訳される。
語源はパトロン(後援者)の語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。
同じ語源をもつ英語の「ペイトロナイズ(patronize )」では「〔人の〕上に立った態度を取る、〔店を〕ひいきにする、〔芸術家などを〕後援する」という意味になる。
・概要
「パターナリズム」という用語自体の起源については、16世紀には「父権的権威(Paternal authority)」という言葉がすでに存在し、それが19世紀後半に「パターナリズム(Paternalism)」という言葉になったという。
また、J.S.ミル『自由論』(1859年)の「侵害原理 harm principle」における議論には、今日のパターナリズム論に通底する論点が提示されている。
▶ パターナリズムの典型例
・専門家と素人
専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。
たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。
その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない。
そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。
宿儺の素顔
・国家と国民
国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる。
実際に施行されている事例としては、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる。
こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる。
大規模災害が発生した直後には、被害をもたらしたリスクが強調され、リスクを回避するための施策に大きな説得力が発生することから、災害危険区域の指定や高規格防潮堤の建設など、住民の営為やリスクを受容する態度を軽視した行政からの介入が行われる場合がある。
環境社会学の金菱清と植田今日子は、善意を背景として実施される干渉的な復興施策を「災害パターナリズム」と表現している。
映画「マレフィセント」
・国際政治
かつての宗主国と植民地の間には、『白人の責務』(キップリング)や「明白なる天命」論に代表される白人優位神話のもとで“「遅れた」現地住民を「善導」する”として、段階的に民主的制度を導入するといった植民地経営が実施されたりしていた。
これらは一部の有色人種に西洋文明の恩恵を与えたが、同時に盗まれた世代等の歪みをも生んだ。
また明確な「先進国から発展途上国への指導」という構図でなくても、
年次改革要望書にみられる第2次世界大戦後の日米関係のように一応内政、経済他の面で「先進国」同士であっても、その外交力・発言力の差から、このパターナリズムが自ずから発生する場合がある。
(但し、この例が弱い立場の利益をも求めた結果だと保証されているわけではない)
1998年のアジア経済危機で、国際通貨基金は大韓民国、インドネシア、タイ王国の経済・財政に直接介入した。これも、パターナリズムの一例である。
高橋源一郎「人に言えない習慣、罪深い愉しみ」
この短編集の「サドより他に神はなし」によると、彼は小学生か中学生の頃にマルキ・ド・サドを読破して、そのショックがトラウマになっているらしいのだが、
▶ 度を越したパターナリズムが倒錯してサディズムに変貌したら、呪い殺すしかない。という意味(五常の義)なのだと僕は思うけどね。「呪術廻戦」の骨法は。
フランシスコ・デ・ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」
パレイドリア