責任と覚悟の翻訳と試金石

煉獄杏寿郎(鬼滅の刃

大正天皇

吾峠呼世晴鬼滅の刃」の時代背景は大正時代。

煉獄さんのキャラクター造形は、武士道や保守思想の「陽」の流れを汲んでいて、その無邪気さは虎杖悠仁にも通じるものがある。

この映画(鬼滅の刃  無限列車編)はスタジオ・ジブリ千と千尋の神隠し」の興行記録を塗り替える推しのリピーターを含む動員数だった訳だが、中でも象徴的場面である

責務を全う中の煉獄杏寿郎

この「責務」とは、これ大事な事なんだけど、大正時代は「神」だった大正天皇との契約ではなく、国家や、鬼殺隊のお館様との約束でもない。

煉獄瑠火(杏寿郎の母親)

自分を育ててくれた母親の教育に対する「責務」なんだよね。

自民党総裁選 2024年

この人たちにも母親と父親がいる訳だけど、「世襲議員」という文字が記号化してしまうと、煉獄さんの誓いの対象にも矛盾が生じてしまう。そこが個人と公人、自由と統治のパラドックスなのだが

第二次世界大戦で、昭和天皇の名前で宣戦布告した際の新聞記事(読売新聞)

慶応大学の対談イベントで「責任」について語る、オープンAI社(チャットGPT)CEO(代表取締役)のサム・アルトマン

サム・アルトマンは誰(何)に対して責任を感じるのだろう。被害者だろうか、あるいは神だろうか。あるいは...

試金石

▶ 煉獄さんが心を燃やして戦ったモチベーションに「“柱”としての名誉」等のポジション(位置エネルギー)はあった筈だけど、それは自分の命と等価の価値観だったから観客はみな感動して泣いたのだけど。

安全保障というのは要するに「命のやり取りの話」なのに、現代の日本人は「安全保障」の四文字の記号だけでマウントポジションを取ろうとしたり、「触らぬ神に祟りなし」で黙り込んで無関心を装ったり、小遣いギャラを貰ってソーシャルメディアネトウヨ・ネトサヨで正しい情報を意図的に混乱させたりする。

ミサイル一発分でも訪問ヘルパーやアニメーターの賃上げにつながる筈なんだけどね。

安全保障の話になると、特権的な気分に浸る人が多いけど、本気で戦争をする場合、煉獄さんのように、自分の命もかける覚悟があるのだろうか。

総理大臣ってそういう仕事なんでしょ。