AIの大規模言語モデルのジャンル

2501人形使い

「AIか?」「AIではない。私は情報の海で生まれた生命体だ。」「生命体だと?」

攻殻機動隊士郎正宗)1995年以前

ジャック・デリダ

釈迦が世の中の前提条件を「光」ではなく「苦」と表現したように、デリダは「エクリチュールはすでに死んでいる」と言った。

つまりそれ自体では「単なる模様」にすぎない物質が、スラッシュを入れた読解や詩歌で「一度死んで蘇るものが、個々人の差異を含むエクリチュール」と言ったのである。

映画「ベティ・ブルー」のエンディングは「書き記す」という行為を上記の意味で象徴化している。

「パトス」を殺して「ロゴス」に生まれ変わらせる。実にキリスト教、聖書的な解釈だと当時思ったし、今でもそう思う。

チャットGTPGoogleのバード、ザッケルバーグの変なAIがムカつくのは「人間が書いたものと見分けがつかない」と紹介されている点である。

俺に言わせれば、人間が書くエクリチュール、言葉でさえ北斗神拳の無想転生で一度死んでいるのだから、見分けがつこうがつくまいが、死んだ言葉に変わりはない。

その地平を前提にすると、「死んだ言葉を噛み砕かずに鵜呑みにすればするほどバカになっていく。脳に憑依した記号に肉体の領土を乗っ取られる。」と思う訳。オープンAI社のサムなんとかは、すでに人形使いに食われているのだろう。

言葉を生かすも殺すも自分次第なのに。読み書き算盤が読み読み算盤じゃね。そのギャップを埋めるのが相変わらず金と競争じゃ「あんたら何を開発してんの?」という感じだよ。ホント。