アルトベンリとマスキング(音楽用語)とレゾンデートル

アルトベンリ

これはギターのペグを回す道具なのだが本当に便利。でも途中からは指で弦を巻かないと上手くなれない。

ピカソの目は普通の目だがなんて素晴らしい目なのだろう」有名な評論にあるように、「芸術表現」とは「自分の個性の目(フィルター)を通す」ということである。

ブルガリアン・ヴォイスは、家ごとに先祖代々受け継がれているパート(ソプラノとかアルトとか)があって民族のアイデンティティと密接な関わりがある。

北京冬季五輪の開会式で中国人が韓国の民族衣装のチマ・チョゴリを着て問題になったプロパガンダのケース。まさか見分けがつかなかった訳ではあるまい。

葛飾北斎の絵のモザイク処理

ミキサー卓

音楽用語の「マスキング」とは別々の楽器で演奏しているのに音の周波数が近くて打ち消しあってしまう(隠してしまう)ことで、テクノサウンド等でも、ハモってるのに揃いすぎてユニゾンに聞こえるとか、リズムにおいてもその負の効果はある。

逆にいえば「揃いすぎている曲は機械物。偽物。」なんだよね。

坂本龍一がすごいのは「シンセサイザーで生楽器の真似をしたのではなく、シンセサイザーならではのオリジナルの音色や演奏法をクラシックの音楽理論に融合させた事」なのである。

2023年以降の生成AIのレベルなら、数学的にマスキング回避のズレを演出したり、本物の太鼓と見分けのつかないビートを鳴らす事も可能かもしれない。

▶ だとしても、それは何を目的としてそんな手の込んだ事をするのか。

旧1万円札の偽札

ベストセラー小説の原稿や美術品は数億円単位の経済効果や雇用創出、文化的エポックメイキングがあるのだから「偽札づくり」は「罪が重い」という認識をちゃんと共有する義務があると思うけど。公共の福祉と国家の安定、社会の熟成にとって。

そう思いませんか。