勘違いしてもらっちゃアナタが困るのは

TOTO「ジョージー・ポージー

ぼくの長年の日記とブログの基本である

「デジスポ」

は ▶ 「受け技」(レントゲン写真みたいなものかな)であり、その後の加工を前提としていること

④で始めた

「蛹読みのすゝめ/シニフィエ流」

も「読み技(積ん読のすゝめ等)」の啓蒙で世話になった出版社や地域経済の書店や古本屋を応援する着想なので「書き技ではない」ということ。

森昌子の還暦コンサート

昔から、日本に二発落とされて人が沢山死んだ原爆の物理理論が、原子力発電所として平和利用できるのでは?とプロパガンダされると、手塚治虫にアトムを書かせたり諸手を挙げて国民自らが推奨したりするのに福島原発で懲りてるはずなのにさ。

エリートの力技に翻弄されることばかり。

例えば、流行の生成AIの真贋以前に、歌謡曲をちゃんと聴いてみると

ado「踊」

この曲とジャケ写はなかなかいいんだよ。でもデビュー曲「うっせえわ!」で♪あなたが思うより健康です/と言ってるあたりは「地」が出ていて、なでしこジャパンの片鱗が残ってるんだけど、このシリーズ、一人で作ってないだろ。企画・制作チームがある筈。彼女はそのフロントマンでしょ。

松本大洋鉄コン筋クリート」とか。

ボニーピンク「ヘブンズ・キッチン」

これも企画・制作チームがいるはず。曲と演奏の完成度と歌唱にギャップがあって、彼女が上に引きづられてるからね。でも及第点。

▶ それはそれでいい。今の歌謡曲はバンドで練って作るものだし、ゴルゴのさいとうプロや白土三平の赤目プロのように、アシスタントというより分業も市民権を得ているから。

戸川純玉姫様

これらは戸川純の存在感がなければできないものだけど、当時この手の「幻想怪奇譚」系のスピンオフ作品も随分あった。

でも途中で限界の壁につきあたった。何故か。音楽のカテゴリーでやろうとしていたからだ。それならいっそパラダイムを演劇にシフトして

飴屋法水の「東京グランギニョル

とか

劇団第七病棟「ビニールの城」

▶ アングラ演劇の舞台にすれば、表現者も鑑賞者も、思う存分趣味の世界に浸れるのに。

窮屈になったよね。マネーの事を考えちゃうからだよ。あろうことか大義名分として。

.....そのうちわかるよ。