活字の主導権 ②受け手・送り手・晴れ舞台。社会参加

劇団第七病棟「ビニールの城」

石橋蓮司演じる朝顔と同じ名前の球体関節人形四谷シモンが作ったもので、非常に重要なブレヒトの異化作用の装置なのだが、

劇団 NODA・MAP「キル」1994年

この舞台の途中で野田秀樹が突然両手に持った2体の人形の頭をガチでぶつけたり、踏んづけたりメチャクチャ怖い行動に出る。

このシーンはインタビューを聞くと「ほら。唐十郎さんってすごく人形を大事にするでしょう。人形を溺愛してますよね。それにカウンターを当てたんです。人形は人形なんだって。僕自身にも言い聞かせる意味もあってね」と言っていた。なるほど。

自分の書いた「作品」というものは、大事にしすぎると駄作になる。僕にもその経験がある。

こういう経験則を根拠にして▼

新聞紙の気になった箇所を破り取る。

画鋲で刺して壁に止める。しばらく放置して、再読して不要なら捨てる。

▶活字の主権。新聞紙を破れる立場にいることが、最も簡単な正気を保つ方法。

と書いたのです。▶「読む側」でね。

▶▶では書く側、発信する側はというと

RCサクセショントランジスタ・ラジオ」

ラジオの電リク(電話リクエスト)

雨の日の新聞紙を入れるビニール袋

封切りして、各種読者投稿欄に自分の投稿が載ったかどうかをドキドキして広げる時間。

ここにはネットやSNSのページビューやフォロー数だけではない特別な時空があるでしょう。

個人というのは、実は身長体重履歴書だけで括れる存在ではない。有機交流体。宮沢賢治もそう言っている。

だから「新商品の物珍しさと金目当てだけでビニールの城を明け渡してはいけない。」

と書いている次第です。