②聖(セント)ジャンケンの日

▶ 前回の続き

若い頃の福沢諭吉(国を支えて 国を頼らず。著:北康利)

ついこないだ古本屋の棚割りで、ぼくの目線の高さのゴールデンゾーンにあったので衝動買いした

この装幀の表紙は星の王子さま理論で嘘なのだが、気が向いたので本物を開く。

(学問のすゝめ。岩波文庫版 108頁)

「人の品行は高尚ならざるべからずの論」

前条に、方今我国において最も憂うべきは、人民の見識未だ高尚ならざるの一事なりと言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきに非ず。禅家に悟道などの事ありて、その理頗る玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れば迂遠にして用に達せず。事実においては漠然として何らの見識もなき者に等し。

また人の見識品行はただ聞見の博きにのみにて高尚なるべきに非ず。万巻の書を読み天下の人に交わりなお一己の定見なき者あり。古習を墨守する漢儒者の如きこれなり。ただ儒者のみならず、洋楽者と雖もこの弊を免れず。

慶応義塾大学で慶大生に質問を入力されたサム・アルトマン

▶ 今、西洋日新の学に志し、或いは経済書を読み或いは修身論を講じ、或いは理学或いは智学、日夜精神を学問に委ねて、その状あたかも荊棘の上に坐して刺衝に堪ゆべからずの筈なるに、その人の私についてこれを見れば決して然らず、眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず。口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、その所論とその所行とを比較するときは、正しく二個の人あるが如くして、更に一定の見識あるを見ず。

▶ 畢竟この輩の学者と雖も、その口に講じ眼に見るところの事をば敢えて非となすには非ざれども、事物の是を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行うの心とは、全く別のものにて、この二つの心なるもの或いは並び行わるることあり、或いは並び行われざることあり、医師の不養生といい、論語読みの論語知らずという諺もこれらの謂いならん。

雑誌「カイエ・ドュ・シネマ」

▶ 故に云わく。人の見識品行は玄理を談じて高尚なるべきに非ず。また聞見を博くするのみにて高尚なるべきに非ざるなり。(福沢諭吉「学問のすゝめ」)

▶ つづく