マクロ経済とミクロ経済の境界線の蝶。区分。日本のマスコミとgafamとai

掛布雅之の模範的レベルスイング

バリーボンズ

▶マクロ経済を主戦場にしている人たちにとっては、「ミクロ経済の細かい多様性はあなた方の生息領域なんだから自由にやってよ。店を広げたい時は声かけてくれる?」というノリで棲み分けができていた。その「太っ腹」がエリートの誇りでもあった。

▶広告というものは「部屋に上がり込める情報」と「OOH(アウトオブホームメディア)+SPとイベント」の二種類があり、朝の家族の時間帯に、おとうさんがタバコを吹かしながら新聞を広げて顔を隠し「お前らの学費と給食費を払ってるのは俺なんだぞ。なにしてもそれはかあさんに任せてあるが、それだけは忘れるなよ」という「家父長の時間」のセンターに新聞とテレビがあり、ニキビにクレアラシルを塗り始めた長男が東京に憧れてPopeyeやブルータスを買い、一重まぶたに悩む娘がCancamを読むことで雑誌も充実していたが、IT革命で楽天市場サイバーエージェントなど群雄割拠や、僕にしてみれば「黒船以来じゃねえの?」という位の圧倒的な勢いの差でGAFAMがやってきた。

マスコミは内心脅威を感じながらも、バブル崩壊で金がなかったから「外資系万歳。よ!太っ腹!」と歓迎しながら、マグマの部分は「自民党はいつも後手後手だ!」と外部化して「お茶の間のセンターの座」に安住していた。

▶僕がなんでこんな仕事と関係ないことを書こうと思ったかというと、①今の休養期間中にある程度雑念が片づけておきたい▶②Googleニューズウィークワシントンポストとウォールストリートジャーナルに「ニュースの生成AIを訪問販売しにいった」という記事を見たからである。「それはやりすぎなんじゃないの。Googleは記者がいないでしょう。ポータルサイトでしょう。捏造なんじゃないの」と堪忍袋の緒が切れたからである。

日本酒のマス酒

オープンAIのサム・アルトマンも「生成より汎用性。普及が大事」と言っていたが、GAFAMのビジネスモデルは、企業体が大きく寡占市場なのでピンとこないが、

①1人1人のユーザーを囲い込んで「ミクロ経済を、マクロ経済の食指が動くスケールに押し上げた(ボンズのフォームみたいに)。人件費をかけずに」ということで、

②アカウントで電話番号とメアドの言質を取って「契約」を簡素化して行い、

③チャンネルを固定させたことが大きい。

▶一般的に「情報吸収量」というものは、見出しをザラザラっと見てテレビで流行の空気を読んでキーワードを2~3個覚えると一杯になってしまうのが普通で、上記のお酒の画像でいえば、スマホでYahoo newsとかを先に脳に詰め込んで、中央のコップがデジタル情報で溢れてしまい、マスコミ情報は外側のマス酒の部分に追いやられてしまった。「なんたる失態であることか」と山椒魚なら言うだろうけど、かろうじて日本の若者には「推しの文化」ができつつあり

マスだけの酒

僕みたいに「酒はこうやって飲むんだよ」というこだわり派のニーズ(需要)もみえつつある。コピーは所詮コピーだかららね。

ところがチャットGPTの登場で映画「八甲田山」みたいに「天は我らを見放した!」と週刊誌がひとつ潰れたわけでしょ。週刊文春だけはペシミスティック(悲しみを喜ぶ人たち)にならずに「ハングリー精神」で強いけどさ。

▶まあこういうのは耳にタコができるほど堂々巡りの会議をしていると思うけどね。

「マスなのかミニなのか」「マクロなのかミクロなのか」が以前より見分けがつかなくなってきたけど、希望があるのは、先日のオープンAIに入場できなかった時のように

アメリカ人は上から目線で、客に対して態度がでかい。失礼。」

なので、真剣白刃取りとかで相手の戦術をこっちのものにすれば、巻き返しは効くけどね。たぶん。商売のコンセプトや法律を変える必要があるかもしれないけど。

頭でっかち。足が弱いよね。

でも呪力があるからまだ優勢かな。外資系はミクロをやる気はないだろうし。