天皇制の意外な盲点。ルッキズム・トラップ

戦後の小学校の給食。パンと脱脂粉乳

▶ 戦後焼け野原の飢餓状態の日本で、戦勝国アメリ進駐軍GHQ)は、大盤振る舞いで学校給食に小麦で作ったパンと栄養満点の脱脂粉乳を供与した。「味はともかくお腹いっぱい食べたい」と毎日渇望していた子供たちは大喜びで食してアメリカに好意を持つようになった。

それまでの日本の主食は米と味噌汁で、税も地域や家の勢力も米の石高を基準にしていた。

それから徐々に日本の食卓は輸入品に依存するようになり、現在の食料自給率はご覧の有り様だ。

長期的視野の政治とはこういうものかと好奇心が出てきた。

兵站」は重要な軍事戦略だからね。

吉本隆明共同幻想論

▶ 日本がポツダム宣言を受け入れて、玉音放送昭和天皇人間宣言で、一人の人物が短期間に「神から人に」なった。

だが、普通の「人」ではなく「人間だが、国家の象徴」というブッダ(目覚めた人)のような微妙で抽象的な役割である。

歴代皇族は一般人・納税者の事を「平民」と呼ぶ習慣があったのだが、カースト制度が廃止されたインドでは、今でも根強く「バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラ...」という土着の階級意識がある。

昨日の日記のテーマだった「資本主義の神の見えざる手とレギュラシオン」「レジームの更新」「上流階級=マクロ経済学下流階級=ミクロ経済学

▶ 「上流&マクロ側の、細かい金と票とミクロ経済学下流側への政治的無関心」「見て見ぬふり」「アパルトヘイト」「個人の人格の軽視」等ともつながることだが。

自民党の長期政権を縁の下で支えているのは、恥ずかしいことに「投票率の低さ」を無視できない。愚民政策で政治から意図的に大衆の関心を逸らしていたのだろう。

ところが先日、総裁選等でいつも噛ませ犬役にされる石破茂が、実に興味深い事を言っていて、小さくながらキャッチアップしたメディアがあった。

石破茂曰く「ぼくが総裁選に何度出ても勝てないのは、顔が悪いからだと思うんです。」

ルッキズムが政治にまで浸透しているという発言。

でもそうかなあ.....

小沢一郎

二階俊博

▶ 永田町の引き籠もってると「みんな同じじゃん」とアグネス・チャン「美しい朝がきます」の標準化バイアスで安心し、重っ尻になるのだろうか。

マクロン大統領(フランス)

工藤静香木村拓哉の女房)

中沢新一に「チベットモーツァルト」と称賛された矢野顕子坂本龍一の元妻)

アイナ・ジ・エンド

▶ タイトルに戻ると、第二次世界大戦の反省を含めた日本国憲法で大きく変わったのは

天皇の政治への関与は禁止」

という条文である。だから下心のある政治家や軍人系の人が「天皇の政治利用」をすると、マスコミや識者が集団ヒステリー状態になって抑圧する。

きっと

堕天/両面宿儺

▶ このように君子豹変する事を懸念しているのだろう。

ところが皮肉なことに

ビーカーの水とインクのエントロピー

アンナ・フロイト防衛機制の「理想化機制」では、

「弱い自我にとって好ましくない対象からは目を背ける。見なかった事にする。認識しない。」ことが「ジャニーズ問題」で立証されつつあるが、多チャンネル情報過多の時代では、

ルッキズム排他主義)の横行」によって「芸能人ではない、政治家の顔を熟視しなくなる。政治から目を背ける」現象が自民党政権下で長く続き、大衆迎合集票マシーンで中古の芸能人を立候補させて「ルッキズム寄りの政治」になりつつある。

ジョニー.ルイス&チャー「OIRA」

▶ 録音当時、絶好調だった自分たちのサウンドを象徴的にサイケに描いたジャケットだとチャーは言っていたが、このジャケは発売禁止になり

ジャケットを差し替えて再度リリースした。中身の音は同じなんだけどね。

▶ タイトルに戻ると、誤解してほしくないのは、天皇の政(まつりごと)の復活を主張しているのではない。

だがその「締め付け過ぎなんじゃないの?」という「言語の抑圧」が、

ユングの夢理論・深層無意識と偶然的に符合して描いた、佐々木淳子「ダーク・グリーン」

岸田文雄首相の「発信力不足」やSNSの「匿名なら誹謗中傷する」といった広汎な文化に少なからず影響していると思うんだよね。「影・響」と書く位だし。

五条悟の死

▶ これもそうなんじゃないかな。

無意識の歪み。

オタクの間では国葬並みの大炎上で「メメントモリ(死を想う)」の儀式があったらしいけど。

石破茂の表情の多様性

「ジャニーズ問題」で揺れている今が、ある意味チャンスかもしれない。

レギュラシオン(調整)の。