気枯れと呪い/ハレとケの相場

呪術師(シャーマニズム)の専門家:櫻井徳太郎/日本の民俗学者駒澤大学名誉教授。専門は、シャーマニズム民間信仰・他界観など。

an anの表紙の伏黒恵

半年ほど前のan anの表紙の五条悟

伏黒恵は育ての親の五条悟のように「浄眼/六眼」は持ってないけど、この2枚だけを比べると、五条の「気/呪力」が枯れてるでしょう。

対する伏黒は「ケ/日常」の方向だけど、闘志がある。8等身の体形は五条に近い。

Wikipedia引用 ①)

▶ ハレとケとは:
柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。

民俗学文化人類学において「ハレとケ」という場合、

ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、

ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。

日本では、戦後から高度経済成長を経て、大衆消費社会になったことで、派手な物、美味しい物が手軽に消費出来るようになり、ハレとケの区別が曖昧になった
(どちらかと言えばハレが続いている状態になった)と言われている。

▶ ハレ、ケ、ケガレ
「ハレとケ」という概念関係の捉え方は、柳田國男が、近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として、
ハレとケの区別の曖昧化が進行していること(例えば、ハレの儀礼時にのみ行っていた特別な飲食が日常的に行われる、など)を提示したのが始まりである。

柳田は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから未来への潮流を読みとろうとした。

▶ 「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」のモデルには、日常生活を営むための「ケ」のエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」である。

「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復すると唱える桜井徳太郎の循環モデル、従来の「聖=浄」への偏りに対して、

「不浄」の観念とその「清め・祓い・贖い」の儀式の重要性を主張する波平恵美子のフォークモデル、

波平恵美子「ケガレ」

夏油傑の肉体(死体)と術式を侵略した羂索の脳(呪術廻戦)

Wikipedia ②)

ケは気=霊的生命力であり、ケガレ(気枯れ)にはもともと不浄観は伴っていなかったという宮田登の説などがある。

宮田登網野善彦「歴史の中で語られてこなかったこと/おんな・子供・老人からの‘’日本史‘’」

Wikipedia ③)

しかしながら、研究者間の「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」(「ハレとケ」)の議論の隔たりは現在も解消されておらず、統一的な定義を打ち出せずに今日に至っている。

一方で、少なくとも中世までの資料の中でハレ・ケ・ケガレの3つの概念が関連づけられる例は見当たらないという指摘もある。

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