誰がための適材適所なのか/カネと人事

映画「サイボーグ009  RE:CYBORG」

脳(意識)をチューニングして高校生として暮らしている映画前半の島村ジョーが、「彼の声」を聞いて自爆テロの準備をして決意を固めている場面。

「彼の声」という幻聴は、心理学的には「超自我」や「es(アレ)」の事で、大人の領域展開では「社長命令」や「官報の周知徹底の通達」や「教育勅語」の類のもの。

エリクソン発達心理学のモデル

この図式でいえば、高校生の枠は

・12歳〜18歳。思春期。

・活力:忠誠心

・発達危機:自己同一性 VS 混乱の対立概念

▶ つまり、自己同一性を担保するのに忠誠心を活力としていて、相手にもそれを求めるので、失恋するとダメージがでかい訳。

「甲子園」もそうで、今週号の少年ジャンプで宿儺が呪術高専の虎杖を「理想に殉じる百折不撓」と評価しているのも、エリクソンの理論と矛盾していない。だから

自分の活力の源である理想の教師(兄貴分)を、穢らわしい殺し方をした宿儺に対して半狂乱の怒りで対峙している構図と、大人で法曹界のエリートだった日車寛見の構図の対比というのは、一見すると非対称に感じるのだが、エリクソン発達心理学のモデルを下敷きにすれば、合理的な対称性のあるクリフハンガーのカットなんだよね。

やっぱり芥見下々は「わかってる人」でコンテンツの再生産に耐えうる才能のインテンシティ(強度)がある。

映画中盤で、脳(意識)のチューニングを物理時間に戻した島村ジョーは、初速マッハ5の加速装置を搭載しているから、スタバのトールボトルで偽装した爆弾で自爆テロをするなんて、戦闘力とコストと経験値を換算すると効率性最悪の「犬死に」にしかすぎない。

▶ これを結果から考えれば、

①島村ジョーのフルスペック戦闘力を脅威に思う敵対勢力が「彼の声」という印象操作・洗脳攻撃をした。

と分析する事ができる。或いは

②島村ジョーだけではなく、「数合わせの戦闘力の発想」しか大本営が持っていなかった。

③その他

と、これだけをブリコラージュしても楽しめるし、企画や政策立案の練習になる。

そう思いません?

北斗の拳のゲイラ

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