ハレ・ケ・ケガレ(気枯れ/穢れ)・ミソギ(禊)・ハライ(祓い)

天児牛大山海塾

Wikipediaより引用 ①)

▶ 雛祭りの起源
雛祭りは人形(ひとがた)の風習、「天児(あまがつ)、這子(ほうこ)」などによる祓いの信仰。

「ひいな遊び」などの行事が融合したものと考えられている。

山海塾「かがみの隠喩の彼方へ ― かげみ」①

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古代中国には上巳の日(3月最初の巳の日)に川で身を清める風習があり、これが日本に伝わって草や藁など作った人形(ひとがた)に、穢れや災いを移して川や海に流す風習と融合したとされる。

また、貴族の間では幼児を災いから守る「天児と這子」が作られ、後の「立雛」の起源になった。

一方で上流階級の子女の間には「ひいな遊び」という遊びがあった。

京都では平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われ、その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。

初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためである。

「かがみの隠喩の彼方へ ― かげみ」②

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一方、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、

「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。

当時の乳幼児死亡率は現代とは比較にならないほど高く、赤ん坊のうちに亡くなることは珍しくはなかった。

五条悟「位相・波羅蜜・光の柱」

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親としては必死の思いでこの成長を見守り、枕元には形代を置き、厄除けとした。そして、1年の災いを、春のひな流しで祓う。これが、ひな祭りの起源である。

・近世
年中行事としての雛祭りは江戸時代までには定着したとされる。
この頃には製作技術の発展によってさまざまな人形が作られるようになり、雛人形の鑑賞を楽しむスタイルに変化した。

一方で、
「ひな人形はひな祭りが終わったらすぐに片付けないとならない」とされ、片付けないと娘の婚期が遅れるなどの不幸に見舞われるとされた。

これは、穢れ払いの儀式の名残であり、
娘の災厄を受け止めた雛人形がいつまでも家の中にいることを忌避していると考えられる。
このようなしきたりは、現代にも残っている。

ひな人形は、形代(かたしろ)と呼ばれる人形の一種で、神や霊が降臨するものとされている。

娘の身代わりとして、娘に襲い掛かろうとする病などの災厄、穢れを、ひな人形にうつして避けるという行事がひな祭りの始まりである。

紙や土などで作られた原始的で簡単な人形で、1年の災いを受け止めた後に川や海に流された。これを「ひな流し」という。

・種類

内裏雛

男雛と女雛が一対である。天皇と皇后を模したものとされる。

皇族用の繧繝縁(うんげんべり)の厚畳の親王台が敷かれる。

南ひろこ「ひなちゃんの日常」(産経新聞

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男雛は束帯(縫腋袍)に冠、飾り太刀をつけ、手には笏を持つ。

女雛は五衣唐衣裳装束(十二単)に頭には平額(ひらびたい)に 釵子(さいし)櫛をつけ手に檜扇を持つ。

メーカーや好みによって男雛はおおむね同じ型のものが多いが、女雛の装束は一番上の唐衣の形が違うなどバリエーションがある。

昨今では従来の座ったもののほか、立ち姿の立ち雛の形のものや皇室の婚礼にあやかった装束を模した内裏雛を作るメーカーもある。

内裏雛」とは男雛と女雛の2人で一対を指す、江戸前期からあった表現。

内裏とは天皇の宮殿(御所)を意味する。

また「お雛様」は雛壇の人形全てを指す。

本来、男雛のみを「お内裏様」、女雛のみを「お雛様」と呼ぶのは誤りであるが、現代では誤用ながらも広く用いられている。

この誤用はサトウハチローが作詞した童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から広まったといわれる。
サトウハチロー自身はこの誤りを恥じ、後々まで気にしていたという。

学習六法(日本評論社  第五版)

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宮中のしきたりにより、内裏雛に近侍する居稚児(2人が多い)が飾られることもある。

段飾りの場合は男雛と女雛のそれぞれ外側に、御殿飾りの場合は親王台の前に配置する。

・官女
宮中に仕える女官をあらわし、2段目に配置する。現在では通常3人1組であるため「三人官女」(さんにんかんじょ)と呼ばれることが多いが、戦前の豪華なものなどでは「五人官女」や「七人官女」のこともある。

竜魔の死鏡剣(風魔の小次郎

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3人の場合手に持つ道具は、中央が主に関東においては三方・関西においては島台(松竹梅)、向かって右に長柄(ながえ。長柄銚子)、左には提子(ひさげ)、高坏がある例では各女官の間に飾る。

珠世(鬼滅の刃

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中央の官女が座って両側が立っているものが多いが、逆に中央の官女が立ち両側が座っているもの、(大正時代まで)さらに全員が立っているものなど、(江戸時代まで)時期や製作者により形態はさまざまである。

映画「里見八犬伝

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また、中央の官女はリーダー格とされ、眉を剃り(引眉)、鉄漿をつけた既婚者の姿で表される。この他、桂(うちき)打ち掛け 姿のものもある。

虎杖悠仁に憑依した両面宿儺

穢れと厄災を虎杖悠仁から伏黒恵にうつした瞬間の描写

虎杖悠仁の同級生の釘崎野薔薇が排除された瞬間の描写

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・五人囃子
能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、三段目に配置する。

向かって右から、謡(うたい・扇を持っている)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいる。また、音が大きい楽器から並べるそうだ。

天児牛大山海塾

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衣装は大体のところ、金蘭を用いたきらびやかな物だが、裃揃いもある。

髪はすべて元服前のおかっぱだが、昔は(昭和30年代)までは、不揃いに作ることがありおかっぱで無く、坊主のような髪に帽子が無いのが主流だったが、最近は統一されてきている。

日本の生涯未婚率

日本の離婚率

映画「サクリファイス」(アンドレイ・タルコフスキー

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また、小刀を脇に刺している。能囃子の代わりに雅楽の楽人の場合もあり、5人もしくは7人であることが主である。

映画「修羅雪姫

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「五楽人」の場合は向かって右から、羯鼓(かっこ・楽太鼓)、笙(しょう)、火焔太鼓(かえんだいこ)、篳篥(ひちりき・縦笛)、横笛(竜笛)の順に、「七楽人」の場合は絃楽器の2人が加わり、向かって右から、羯鼓、琵琶、笙、火焔太鼓、篳篥、横笛、和琴または箏の順に並べる。

楳図かずお神の左手悪魔の右手

映画「イノセンス」(押井守

清水寺の一文字揮毫「税」2023年12月

人体の体循環と肺循環

チャゲ&飛鳥「万里の河」