祖国のゲームチェンジャー/自民党と集英社の比較

発行部数300万部突破時の少年ジャンプ(1980年)

少年ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンは僕にとって祖国のような存在なので、鳥山明の不審死を奇貨として、憂国の想いを綴ってみよう。

ジャンプの部数はこの後も令和バブルや半沢直樹の掛け算級に600万部を突破。マガジンも肉薄して一時はジャンプを抜いた時もあった。

この部数は、惰性の宅配流通チャネルを握っている新聞全国紙より売れていて、教科書の数倍分厚い本を子どもたちが先を争って買い求めていたということ。当然ながら「活字」も沢山書いてあるが苦にならない。

日教組は「想像力が大事」といつも言うが、完全に漫画に負けている。一体、何故?

両面宿儺の領域展開「伏魔御厨子」(呪術廻戦)

天下一武道会の会場(ドラゴンボール

伏魔御厨子天下一武道会の装置にクビを切られそうな五条悟

朝日新聞鳥山明の追悼記事によると、「ドラゴンボール」のスタート時は西遊記のような聖杯譚/神龍の玉を探して旅をする「銀河鉄道999」のような設定だったのだが、少年ジャンプの「アンケート主義」で不評だったので、バトル物に路線変更したのだとか。そうだよね。記憶が蘇った。

その象徴が上記「天下一武道会」で漫画の制作サイドのスラングでは通称「シャブ漬け」というらしい。

「若手の発掘」といえばきこえはいいが、憧れの少年ジャンプにデビューしたての新人にとって、天下の集英社の領域展開の威厳がどれほどのものかは察して余りある。

「干されたらどうしよう...」とかね。その点ではあの事務所のあの人に匹敵する呪力があるのかもしれない。

「デビューできなかったくせに」とタレント間にも序列ができたり。

まあエンジン系の強みでもあり、矛盾でもある。ただしその螺旋階段を問題意識も持たずに(言えずに)登った結果が、今の「殺伐とした作品コンセプトの横溢」だとしたら、看過できないものがある。

▶ とはいえ、

自民党の派閥システムの後継の「背骨勉強会」

脊柱菅狭窄症患者のレントゲン写真

▶ これよりは若者社会のゲームチェンジャーになりうる希望は少年ジャンプの方が遥かに期待できるけど、それでも国家は国家。与党は与党。文化と権力の距離の取り方は難しいから、ピストルを持たない我々庶民は、何食わぬ顔で、呪うしかないんだよね。

そういう抑圧された心の琴線に触れたのが呪術廻戦なのだと思う。鬼滅の刃のように勧善懲悪物じゃないのに。意味不明としても踏み込みの強さがあるから皆興味を持つのだろう。

少年マガジン 1973年    価格:100円

各種ルッキズムに毒されて、ベアトリーチェ神曲)の見分けもつかなくなっているのだろうか。

鳥山明の色紙   2008年

早乙女綺更