絶望フェニックス

A4。「絶望」

▶ これはいい曲だね。坂本龍一「Parolibre」を想い出した。

B面が「Parolibre」

▶ 僕にも思い当たる節があるが、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」や有島武郎の「生まれいづる悩み」など、若者は「絶望」や「絶対」や「永久に不滅」を気に病む時期がある。

これは筒井康隆が新聞連載のエッセイ「漂流」でテリー・イーグルトンを引いて「人間はいつも象徴的な死を繰り返しながら生きている。」と言っていた。文豪が言うのだからそうなのだろう。

バンジージャンプ

子供が成人に生まれ変わる儀式。

テリー・イーグルトン

Wikipediaより引用 ①

『アフター・セオリー』(2003年)において、現代文化と現代文学の学際研究について論じ、その品質低下を指摘している。

イーグルトンはこの分野における学際的研究の有用性を認めないわけではなく、包括的な研究がおこなわれていないとした。

現代神学やポストモダニズムの研究は、絶対的な価値について語られていないことを指摘し、絶対的な価値の実在を主張した。

なとり「絶対零度

Wikipedia

われわれが自主的に選ぶことが出来ず、自主的に離脱することが出来ない(自殺をのぞけば)「肉体」に生きなくてはいけないことから、

肉体とその死滅に人間生活の絶対的価値を主張している。

映画「私は絶対許さない」

Wikipedia

一方で、イーグルトンはアイルランド文化についての三部作的著作を完成させている。

『文学とは何か』における記述は筒井康隆の『文学部唯野教授』の下敷きになったと言われている。

斎藤緑雨の本

「刀を鳥に加へて鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。聲ある者は幸福也、叫ぶ者は幸福也、泣得るものは幸福也、今の所謂詩人は幸福也。」 出典:斉藤緑雨「半文銭」

押井守の映画「イノセンス」にも引用されているセンテンス。

映画ではこれを編集して「人形達にも声があったら、人間になりたくないと言ったでしょうね。」と少佐の台詞にしている。

自民党の背骨勉強会

▶ 政治不信という四文字熟語がすっかり普通になってしまったが、この人たち(現代の政治家)は、「本当にやりたいこと」や「絶対にそうなりたくないこと」を公人として声にできなくなっている。

でも背骨で語るのは日本語を学ぶより難しいからね。其の辺からして永田町ドメスティックだよね。

母親たちが嫡男を手なづけて「頼りがいのある男」よりも「かわいくて愛される男」に優位性を置いて、男の顔や体形まで変わってしまったし。

煉獄杏寿郎