① 介護は突然やってくる。ヤングと社会のワクチン・シミュレーション

サザエさん

ドラえもんの「もしもボックス

▶ ケアマネ交流会などの事例検討会では、実際のケースの個人情報の部分を黒塗りして行うのが通例なのだが、重いのでアニメ等をブリコラージュすると、ゲーム理論性やアイデアが出てくる筈なのだが、誰もそういう事はやらない。

▶ 僕自身、両親とも還暦前後に一人が死亡。一人が要介護になって人生が一変した。本当は歌って踊れる芸能人になりたかったのだが断念し、仕事内容の近い広告会社に入ったのだが、若かったので夢が捨てきれず、もやもやした中途半端な脳の状態で働いていた。

俳人正岡子規の病床六尺の寝室(明治32年頃)

子規とは無関係だが、シンクレティズムで説明用に並べて掲載

昔は介護保険制度どころか、介護用ベッドや大人用紙おむつもなく、トイレも和式だった。

どんな市区町村でも布団で寝ている要介護の夫の親を、嫁が介護する風景は珍しいものではなかったし、テレビのバラエティ番組でも

「いつもすまないねえ」「それは言わない約束でしょ」のアルゴリズムは定番だった。

▶ 「うちの子に限って」「うちの親は働いてる」という「確証性バイアス」があるので、所帯を持って別世帯で普通に暮らしている人が多いが、「玄関の段差で転倒して大腿骨頚部骨折しました」「脳梗塞で救急搬送されました」という、個別の突然の出来事から介護は始まるものなのです。

最初の頃は疎遠だった親戚が集まって、小田和正ラブ・ストーリーは突然に」のような神聖な気持ちで、お金のこととか世話のこととかを話し合ったりするんだけど、介護というのは先の見えない心的な長さとADLやQOLが下降していくグラフの曲線などが初体験のこととしてのしかかってくるので、絶望的な気持ちになって、成績優秀なのに大学進学を諦めたり、子供を作る予定を保留にしたり、芸能人の嫁が介護なんかするわけないと、気楽な独身貴族を決め込んでキャバクラで遊び呆けたりの人生の分水嶺なのだけど「臭いものに蓋」でタブー化して、考えたり話し合うのを延期・先送りしようとするんだね。血も涙もない人工知能AIと違って。

例えば、サザエさんのこの盤石に見えるジェノグラムを、介護のケーススタディで編集してみると

▶ チャットGPTの影響でフグ田マスオが失業。ショックから酒に溺れる生活になり、妻のサザエは、家族会議で磯野家の土地建物と資産を長男のカツオが相続することになり、夫のフグ田家で生活するべきかどうか悩んでいた。

波平がアルツハイマー認知症で徘徊中に転倒骨折して、波平の妻のフネは「夫の介護は住み慣れた自宅で私がします。施設にはいれません」と言うので、サザエはタラオを連れてセンチメンタルジャーニーに旅立った。

▶ 途中から適当になっちゃったけど、●●さんと✕✕くんだと、性格がわからなかったりするからね。

ではまた。