ファクトチェックと憑依あるいは関係妄想

SEGAソニック・ザ・ヘッジホッグ

その昔、「教育とは治る傷をつけることといいますが...」と教えてくれた友人がいるが、これは難しい問題で、15年程前の8月ジャーナリズムで「原爆を受けた傷口に蛆がたかっているのは、放射能と腐食した部分を蛆虫が食うことで治そうとしている生態系の反応と捉えることもでき、無菌培養した蛆虫を医療に転用した治療法もある」という記事を読んでショックを受けた事があるんだけどね。

恐ろしいね。精神世界でも「傷をめぐる似たような現象」はあると思う。妖怪とか。

いとうせいこう「解体屋外伝」

▶ この小説のラストで、深いディープラーニングに沈んだ主人公が

「無だ。無が有るじゃないか」

と悟る場面はいささか安上がりにも感じられたが、一神教文化圏にとって無とは神がいなくなる事だから、敵視される可能性もあるので、このような「無の説明」は有効だと思うようになった。

▶ 生成AIシンドロームで「インターネット以来の」という修飾語が頻出してるけど、「インターネット以前のデジタル化の01の普及」にまで遡ると、

「時空間の、空間の不足分を、01記号の時間軸で延々と差延して、情報の圧縮技術やコンピュータの計算速度を上げて時間を短縮していく加速主義と効率主義」の拠点が「アナログからデジタルへのパワーシフト」だった事が見えてくる。

時間VS空間の競争。

空間派とパルピスト(紙派)にとってはチャンスでもあるけどね。

重さがないんだから。