アイデンティティ・クライシス

綾波レイエヴァンゲリオン

たがみよしひさ「滅日」

▶ 肉体を再生することはそう難しくはないよ(尼子全)

映画「ガーゴイル」のベアトリス・ダルと内股がチャームポイントのヴィンセント・ギャロ

エヴァンゲリオンのシンクロ率メーター

▶ 日本は森羅万象の多神教宗教圏だから、エヴァンゲリオンや呪術廻戦や滅日の世界観にはすんなり入っていけるのだが、アイデンティティとアイデンティフィケーションの基盤が違う一神教宗教圏の「他の神は嫉妬・排除して認めない」という正義の構造だと、シニフィエの集合体である綾波レイの存在様式がわからない・違和感があるかもね。

歴史上有名な「パクス・ロマーナ」にしても、ローマの支配や影響を受けた地域は「カタカナ英語」のような2カ国分の和洋折衷の多様性と抗体を獲得するけど、自分の色とテリトリー(ボディ・ポリティック)を拡張してローラーをかけようとする「大本営」は単調でしょう。一神教的な「規格」を統一しようとするから。精霊(天使)と神は格が違うし。法律で三位一体に結んではあるけど。

神様が影を潜めて、カネと科学にすり替わっている現代ではなおさらね。

Wikipediaより引用)

呪い(のろい、詛い)は、
人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、
悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為をいう。

特に人が人を呪い殺すために行うものは、古来日本では呪詛、

あるいは対象を「悪」と見做して滅するという建前の上で調伏と言われることもあった。

概要

「呪う」という言葉は「祝詞(のりと)」と語源的には同じで、「宣(の)る」に反復・継続の助動詞「ふ」が接続したものであり、古代の言霊信仰に由来するものと思われる。

日本では既に死んだ人・動物や神霊がなす呪いを特に「祟り」と呼び分けることが多い。

呪術(まじない)とも関係が深いが、呪術という言葉は、意図および結果の善悪にかかわらず用いられるのに対し、呪いという言葉はもっぱら悪い意味で用いられる。

呪いは生きた人間による場合には、呪文、祈祷、その他の言語的、呪術的または宗教的な行為によって行われるとされることが多い。

具体的には宗教・文化的背景によって様々な違いがあり、
神・悪魔その他の強力な霊の力を借りてなされると考えられたり、
あるいは自己の霊能力によると考えられたりする。

呪詛の効果を肯定する立場では逆に、
「他人に知られると効果がない」と信じられてきた。

映画「リング」

▶ これなんかは「ホラーというより、ちゃんと映画してるじゃんか」と思った。

ハリウッド版の「リング」

上記を工夫して派生したハリウッド版「リング」のシリーズ

アメリカの恐怖映画は「ホラーというよりスプラッター」だからあまり観る気がしない。

▶ それはおそらく「死生観の違い」なのだと思う。

野球や政治もそうだけど。

だから日本の若者は洋楽を聴かなくなったんじゃないかな。本能的に。