読者・視聴者の「質」と「数」の役割の機能的類型

柔道の受け身

映画「もう頬づえはつかない」

個性派女優の桃井かおりが雑誌のインタビューで「私の場合、自分の中の神様に恥じない事であれば、何を言われてもさほど気にならないんです」と言っていた。

不思議なことに宗教的なニュアンスではなく、「道徳」や「倫理」を連想した記憶がある。

介護の「バイスティックの七原則」

選挙の「一票の格差」の事例

▶ 介護というのは基本的には1対1の最小規模の関係で、政治は最大多数の最大幸福の大規模のテーゼがあるので、比較には工夫を要するが、バイスティックの呼吸その壱「個別化」というのは、言い方を変えれば「基本的人権を持っている他人を物化・数値化しない」というもので、虐待の抑止機能もある。

なので「目隠しをした巨人」とも比喩される国家や国民の「鏡」や「パラメーター」としてSNSのフォロワー数やYouTubeの再生回数が「評価軸」の参考として引用されるのはある程度は仕方がないとしても、「自我の防衛機能」の点で言えば、童話「マッチ売りの少女」のように、1人あるいはほんの数人との「質」に関する信頼関係があれば済むことで、家庭を築く欲求もその一環なんじゃないかな。

「範」や「手本」とこまめに照合していれば、大きく間違えることもないし、自分の品質を劣化させない歯止めにもなる。

だから不愉快だったんだけどね。芥見下々の台詞回しの未熟さが。