宿儺が完全体になってはっきりしたのは、こいつは憎悪を動機として戦っているわけではないという事。
呪術高専サイドはウイルスに顕著なDNAの理論で「同類の数を増やす」文脈なんだけどね。
ラオウも、一応は拳王軍団を率いていたとはいえ、道場破りで生成AIのように他の拳法の奥義を学習しまくったり、自分個人の強度を上げる事にしか興味がなかった印象がある。
なとり「フライデー・ナイト」
♪飽きたら捨てるだけ。安っぽいラブソングはいらない...
▶ 僕はゲームに関してはドラクエ2止まりなので、ネイティブ・ゲーマーのリビドー文脈とリズムは正直よくわからないし、だから最初は呪術廻戦を読む気にならなかったのだけど、知人のオタク通信によると「あいつ(五条)が出てくるとすぐ終わっちゃう」「強すぎるが故の法則で獄門彊に」と言っていたので、ロールプレイングのバトルゲームで培われたゲーム脳の読者は、総当たり戦でたっぷり魅せてくれる展開を欲望してアンケート葉書を出しまくったのかもしれない。
だとすると
映画「Wの悲劇」
五条を殺したのは読者の共同幻想なのかもしれないね。
呪術高専サイドの総監督なのに。
最初からそのつもりだったのかもしれないけどさ。制作者側も。
だから「散文的」になるんじゃないの。
長編なのに。