家族構造療法の「境界」
少年ジャンプがやっと普通に「読めないもの」に戻りつつある。僕は子供がいないので、鬼滅にしても呪術にしても、ジャンプのターゲット層の知人の「気の利いた紹介」がなければ手に取らなかったし、編集して引用する気にもならなかっただろう。
家族構造療法の「サブシステム」
ケアマネジャーや各種の介護職員が認知症患者への耐性があるのは、単に「慣れてるから」や「仕事だから」だけではない。
家族の内外の境界や、世代間の境界(親・子・孫)の「外部」に位置する存在だからである。
逆を言えば、僕らから見てまったく問題行動のない「物忘れ程度の穏やかな老化」で家族の人が大騒ぎするのは、変化の対象が内部にいて、世話をする世代間の境界が崩れて(逆転して)しまうからじゃないかな。
だからその不安定を、外部のサブシステムで支持基底面積を広げれば多少は安定するんだけど、「消費は美徳」「お客様は神様です」(三波春夫によると誤解らしいけど)の金権政治の呪いがかかってるから、折角の外部サブシステムの施しを邪険にする人も沢山いる。
インターネットで、情報がビザもパスポートもなく軽々と国境を越えても、扶養義務は家族にあるのに。
秘書の責任政治の呪いで、ケアマネや介護職員に責任転嫁をしたがる人も多い。
だから、罪の追求と勢力争いだけではなくて、其の辺の「哲学」から語り合っていかないと、よくならないと思うけどね。
人気取り(ルッキズム)では。