①生成AI時代の、文学の新ジャンルは、香りを楽しむシニフィエ派

ゴルフのOKパット

大江健三郎とかマルクスとか「読破したのかね君」「初版を読まなあかんよ初版を」という読者環境の末路が

今の「倍速視聴」や「生成AIで、さらば宿題!」というコンテンツ業界の窮地と地続きになってると思うんだよね。自分が「小説を読まなくなった興味の下降線」を振り返っても。

▶ 結論を先に書いておくと、先程図書館で木鶏連載中の:辻原登「陥穽    陸奥宗光の青春」を眺めていたら、タイトルからして読めないんだけど「霞を食べてるみたい」でいい香りがするんだよね。

▶ これは「生成AIの記号接地問題」で、金属製の人工知能AIには絶対にできない「シニフィエの香り」だと思う。

★だから「将棋の藤井聡太の真似」で変な文体を開発するより、広い読者層に向けて

「オッケーでーす。」

と「積ん読の推奨」をする位の許容力を示す方が、活字の悪貨に害されずに、原稿料も賃上げになると思うけどね。

前回の続きに少し戻すと、

キラー・イン・キラーズの隊長(ルパン三世1st「第三の太陽」)

▶ これは帽子と衣装を変えると、次元大介とほぼ同じ顔なんだけど、声優さんが思いっきりエフェクトした発声をしてるから、別人に見えるでしょう。縛られた場面はパイカルも少々入ってるけど。

僕はこのキャラクターが大好きで、小劇場演劇をやっていた時に、遊眠社の野田秀樹みたいな作・演出・主演の三冠王で演出ができるなんてさすが東大生だな。と嫉妬していたんだけど、役者が足りなくて自分も舞台に上がる時は、年配の人向けには「白木みのる」みたいな異化作用が、自分の内部にできるんだよね。僕の場合は。

▶ 例えば「ラブコメの先駆者」というと皆「あだち充」を連想するだろうけど、僕の感覚だと「小山田いくたがみよしひさ兄弟」で、あだち充はどちらかというと「少女漫画と少年漫画の読者層の融合に成功した漫画家」だと思うんだよね。

加速二頭身装置を開発したたがみ先生も「化石の記憶」で「あんたはドラエモンを読んだことがないのか?」とストーリーと整合性のあるフレッシュサインを残してるし、ではその作者の藤子不二雄は、師匠の手塚治虫のような万能型ではなく、子供向けの漫画専門で(水島新司が野球専門だったように)、驚くべき事に、還暦近い僕が今読んでも「哲学の香りがする」まんがでしょう。

宮崎駿は若い頃、手塚治虫に対してコンプレックスと挑戦者魂を持っていたみたいだけど、ジャズのスウィングのビートで解釈すると

▲これね。

水平対向エンジンの対称性は「ハイジとクララとしずかちゃん」で、少女を描かせたら宮崎駿の方が藤子不二雄より上でしょう。

つづく。