天才と碩学の違い/藤井聡太と大谷翔平の見せ方(メディア演出)に足りなかったもの

墨と硯

▶ これは当然のことだが、墨よりも硯の方が同じ素材でも硬い。逆だと穴が開いてしまう。

松尾芭蕉の「蛙と岩」の俳句に匹敵する知名度を誇る正岡子規の「柿と鐘」の句は、友人の夏目漱石との往復書簡でできた俳句なんだよね。打てば響くというのかな。子規は漱石の事を独自のニックネームで「柿」と呼ぶ程創作の相性がよかったらしい。

学習図鑑の出版で創業した小学館の「週刊ポスト」が「大谷翔平が大嫌いな人の言い分特集」で、日本のマスコミにありがちな横の同調癖に果敢にメスを入れた事で、大谷翔平藤井聡太という「高い素材」のディープラーニングができるようになってきた。

映画「羅生門」監督:黒澤明

▶ 美人薄命や詩人の夭折といったメタファーは、固体が液体を経ずに気体に昇華するようなジャンプ感と、消費・消える魔球・大島弓子ホワイトアウトがあるから碩学というより天才型だよね。同時に生産的でもある。

大谷の野球に物足りなさや無味無臭を感じていたのに忘れていたのは「巨人軍は紳士たれ」の理念と象徴性に縛られてマンネリ化と金満化していった読売ジャイアンツのジレンマに通じるものがある。だから

元木大介が入団した時は「やんちゃ」「意外性」で香辛料が効いていたんだけどね。

藤井聡太名人

▶ では大谷翔平藤井聡太の見せ方と見方の差異は何かというと。

将棋というのは、AIがどうとかじゃなくて、ゲームの基盤にあるのが「騙し合い」なので「どうやって相手を空振りさせてやろうかと、常に悪企みをしているのが棋士」なのである。ボクシングと同じでリングの中でルールを守って行うと「読み合い」に格が上がるんだけどね。

大谷翔平は日本人ばなれした肉体の持ち主が故に、ホームランや球速やスイーパーなどの「パワーばっかり」がクローズアップされてたから、「投手と打者の駆け引き」という、漫画にするなら肝になる心理表現が足りなかったんじゃないかな。イチローに比べて。

来季が楽しみ。