中性子星の磁場
日劇ダンシングチーム(有楽町)1936年〜
文明堂のテレビコマーシャル 1960年頃
♪カステラ1番電話が2番 3時のおやつは文明堂...
▶ 件のジャニー喜多川のエンタテインメントのルーツは、週刊誌によると、上記の日劇ダンシングチームを観た時の感動体験なのだとか。
死亡当時は「テレビ局にラインダンスを踊らせた男」というふれこみもあった。
▶ さて。小劇場演劇の視座からすると、ジャニーズ事務所のトップスターの木村拓哉の演技は面白くもなんともない。
というか「演技をしてない」。
それなのに何故、本来短命だったアイドル稼業で長い期間別格なのかを分析すると、フェーズを変えて考えると、古典落語の名人のような「相手・観客を、自分のペースに巻き込む磁場」を持っているのだと思う。
外見至上主義(ルッキズム)の鎧を脱ぎ捨てると、全盛期の桑田佳祐の「御馴染みの対等目線に持っていく才能」と同系統のもの。
内閣総理大臣は天皇陛下が任命する役職で、アメリカ大統領は聖書に掌をおいて所信表明演説をするが、多神教文化の日本では、邪馬台国の卑弥呼が外国から金印や神獣鏡を貰って「認定」されたり、鑑真和尚を招聘して「入魂の儀式」をしたり、「物事が成立するのに他者の認可を重んじる文化圏」である。
これも原初的な民主主義なのかな?
▶ 木村拓哉がセンターのSMAPのデビュー曲「がんばりましょう」で、レコーディング・ドラマーにデニス・チェンバース(P-FUNKやジョン・スコフィールド等)を呼んだのは「腐っても鯛」「蛇の道は蛇」の秘奥義で、
手塚治虫「火の鳥/鳳凰編」の「我王の鬼瓦」のような「自我のアウトプット」を可能にしてきたのかもしれない。
山下達郎がジャニー喜多川の弁護で言おうとしたのはそういう事でしょう。
▶ それでもね。歴史と世間の評価がジル・ド・レエのような「化け物」の方向で法的措置が固まりつつあるので、犯罪者なのだろうね。
ボタンの掛け違え
ルッキズムと美は別物なんじゃないの。