五常の信の揺らぎ

中村文則「カード師」

ドス推し(ドストエフスキー派)の中村文則が、たしかこの小説で、天草四郎時貞隠れキリシタンが大量虐殺された歴史の話を挿入して

「信じる者は救われるって言うじゃないっすか。オレ納得できねっすよ。」というような台詞があり、気になっていたのだがこの本は所有していないので確認ができない。

▶ なので、手っ取り早くサティスファクションしようとインターネットで検索していたら

「お前は散歩中に無意識的に蟻を踏み潰してしまった時にいちいち謝るか?」

という悪戯書きが視界に入ってしまい、これも気になっていたのだが、先程日記に書いた「辞書の序文を詠む」で、虚式のスカイラブ投法にかすった。

(再引用)

◆ 一方、近年の若い世代にみられれる社会的な風潮──少数の言葉に多義的な意味を負わせ、何ごとによらず、「すごい」「ヤバイ」などで済まそうとする──をみると、生活様式が画一化し、行動形態がマニュアル化されたかのような時代になったからだなどと、暖気(ノンキ)に構えてはいられない衝動に駆られる。(倉持保男

五条悟のウォーミングアップ

▶ つまり「十把一絡げのボキャブラリーの貧弱傾向は、金もかからないのにヤバイんでないの?」と思ったので、五常の「信」を調べてみた。

渋沢栄一論語と算盤」

Wikipediaより引用)

▶ 信(しん)は、
一般的には真実で偽りのないこと。信用。信仰。宗教・倫理の分野においてさまざまに用いられる。

儒教における「信」

儒教においては、五常仁義礼智信)の一徳目であり、友情に厚く、人をあざむかないこと、誠実なことをいう。

孔子は「民、信なければ立たず」(人間は信がなければ生きていくことができない)と「信」の重要性を指摘している。

孟子は、人が守るべき「五倫」の道のなかに「朋友(ほうゆう)信あり」として「信」を守るべき徳のひとつとして掲げている。

また、孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、
前漢代になって、五行説にもとづいて董仲舒により「信」の徳目が付け加えられ、合わせて「仁義礼智信」の「五常」と称された。

 

五条と宿儺

▶ 鞭を使えばいいのに。