青葉学院の佐野(一軍のエース)と二軍のエースの会話
▶ いくらなんでもこれもパワハラや差別だとは言わないとは思うけど、パラノイアの人だとそう感じるかもしれない。
僕ら根性野球の世代は
ちばあきお「半ちゃん」のイガラシ
▶ こういうのは当たり前だったし、「集合」という文字を見ると今でも緊張が走る。
野球大会で優勝を目指すタイプの野球部の組織はくっきりとした「ゲゼルシャフトの小社会」で、実力主義ではあるのだが、上級生全員がレギュラーになれる訳ではない。
だが伝統的に「3年生は神」というジャンルの文化があったので、2年生が1年生を「下の奴ら」と言うのも普通だったし、「五常の礼儀」を欠くような事は集合のネタとされた。
狗巻棘(呪言師/呪術廻戦)
(パラノイヤから再度引用)
ロビンズならびにポストは、パラノイア的認知を構成する要素として次の3つを認めている。
① 他人が自分を搾取、加害もしくは欺瞞しているのではないかという十分な根拠がない疑念
② 友人や同僚の誠実さや信頼関係に対する筋違いな疑念への没入
③ 情報が悪意ある他人によって利用されるのではないかという妥当性を欠く恐怖感を理由とする、他人との対話の躊躇。
..........
▶ 狗巻が「シャケ」とか「タラコ」とか日常会話でスライダーをかけた言葉しか話さないのは、人畜無害な見ず知らずの他人に言霊の呪力が悪影響を及ぼさないようにするためだが、「戦闘ホラー漫画」の設定を取り外すと、上記③の「他人との対話の躊躇」と位相・波羅蜜・表裏の間だよね。
詩人の伊藤比呂美
▶ そういう「言語のシニフィエが他人の中でどう結像し、解釈されるか」はどんな人でも普通に抱えているパラドックス(答えの出ない矛盾)だよね。
伊藤比呂美の人生相談コーナーで、「自分が変わる事も成長する事もできない。」と悩む人への返事で
「とりあえず外に出よう。自分は変われなくても、他人が変わる。」と言っていたのは印象的だった。詩人だからね。
▶ 冒頭に戻ると、青葉と墨谷の違いは選手層の厚さで、二軍のエースがいる事で、佐野は投手(アスリート)としてのカリスマ性だけではなく、上級生としての風格も垣間見える。職場でいえば「管理業務との二刀流」みたいな感じかな。
ダイレクトには
渡海さんと瀬川(サンクチュアリ)
▶ 僕はこういう人間関係が好きなんだけどね。体質的に。
漆の深い黒が光の乱反射を吸収するように。
賄賂や性加害がなくてもできると思うんだけど。
▶ そろそろ4月。新入生の季節。
入社4年目がベテランの階段を登り始める頃ですね。育ったら重い成果主義を背負わせて解雇する程コスパが悪くバカげた事はない。