生成AIと鼎の軽重

もう十数年前のある日、温泉で日記の疲れを癒やしていたら無礼にノックもなくサルが割り込んできて「お前の文体は軽い!」

巨人の星

「これが私が生成したお前の重い文体だ。ありがたく煎じて飲み給え」といきなり説教された事がある。「これが噂のチャットGPTか」と読んでみたが、まだ開発初期だったのでムカつくだけで面白くはなかった。

そもそも自分の文体はロックやファンクの歌詞を書いていたので荒っぽかったのを、村上春樹吉本ばなな以降のお客さんに共感してもらえるように、時間をかけて削ったり、苦労して軽い文体に自己改造したものなので「ふん。こいつは何もわかっていない。」と相手にしないよう心がけていたが、尖閣諸島の漁船のようにしつこくつきまとってきた。

フランソワ・オゾン監督の「まぼろし

この映画のPRで憧れのシャーロット・ランプリングが来日した際にスタジオで会って話をすることができた故、作中の靴のホックを外したシーンの後半で「あなたは軽いの。軽いのよ」という台詞に

自分が指摘されたような被害妄想に陥ってしまった。重い方が嫌われるような気がするんだけど。愛の嵐は。

初代ウォークマンSONY

AIWAウォークマン

いずれ生成AIもパチモノが普及するようになるだろうけど、人間の言語能力を表面上上回るのは時間の問題で5年かからず抜かれるんじゃないかな。

だとすると2070年の人口8700万人の少子化問題同様「人間脳は既に生成AIに負けている」という前提で政治や社会を想定する必要があるのにようやく気がつき始めたようだ。

考えるのが嫌いな反知性主義の集団が、生成AIで表面的な作文をして弱点を克服したら、民主主義や選挙の構図や戦略も変わってくる。政治家は100人でいいとかね。

これについてはまた別の日に書こう。