源氏名/美の止揚(アウフヘーベン)と盛り(ルッキズム)

映画「子宮に沈める

チャンス(機会)の神様には明智球七(アストロ球団)のように前髪しか生えていないというけれど、10年程前にレンタルビデオ屋でこの映画のジャケとすれ違った時、

「あ、見てしまった。ブリンカーを付けとけばよかった。高齢者福祉に精一杯で、児童福祉まで責務を負う余裕はない。」

と後退りしてレンタルしなかった。

東京新聞 夕刊の「大波小波」の執筆陣の書評家が言うように、僕は基本的には自分で鑑賞したり所有しているものしか日記で紹介しない。Wikipedia等の引用も、段落や句読点等の料理の下ごしらえをしてからでないと引用しない。焦ってる時は別としてね。

映画「私は絶対許さない」

つい最近何度か引用したこの作品は、レンタルビデオ屋でこのタイトルとジャケに心酔してしまい、レンタルして鑑賞する前に引用してしまったが、罪悪感に駆られて2回レンタルした。

監督の和田秀樹精神科医でもあるので、15歳の集団レイプされた主人公が、離人症多重人格障害系の精神疾患を患う展開は興味深かったが、映画撮影の経験が浅くてもったいなかったね。

ソープ嬢源氏名(芸名・ペンネーム等)をつけたり、キスは禁止だったりするのは貞操観念というよりも、誰もが脆い「自我」を保護するATフィールド(エヴァンゲリオンの領域展開)なのだけど、夜の街に随分投資をしていた頃、自分の源氏名を他人のように呼ぶ女の子と何人か出逢った事がある。

この映画の主人公はダブルキャストなんだけど、大人になってからのストーリー展開が「詰め込み過ぎ」で、嘘のフィクション、ルッキズムの型に嵌ってしまっている。

裏ジャケにある「さらに看護師になった理由」を、鑑賞前の僕は

ブラックジャックの地雷を埋めた無人島のように、人体の弱点を研究して残酷な復讐をするつもりだな」と予想していたのだが、僕が絶対に吸わないと決めている「シケモク」の映像だけで済ませてしまったのは物足りなかったな。

雑誌「Newton」2024年7月号

この本の42頁によると、2030年に「1秒の定義」が書きかえられる可能性があるらしい。

タイパを気にする現代人は、単位や定義にどうして興味を持たないのだろうか。

矢沢永吉「時間よ止まれ」1978年

矢沢だって相対性理論暗黙知をジャケットで表現してるのに。

▶ もう少し続けよう。

Eveが ♪まだ止めないで...と歌ってるし。

映画「誰も知らない」

この作品の物語は「育児放棄の虐待」なんだけど、主演の柳楽優弥の美貌と、このジャケ写から「母親による性的虐待」を連想するよね。更に2024年の今なら

ジャニー喜多川朝日新聞の記事より引用)

週刊文春ジャニー喜多川特集

▶ 「父親による息子への性的虐待」の可能性も射程に入ってくるでしょう。

ね。五条さん。