木鶏。敵対者の戦意喪失/新しいSNSへの道

映画「シベールの日曜日

この空軍パイロットのハーディー・クリューガーが不時着して記憶喪失になってパトリシア・ゴッジと出会って遊ぶという舞台設定は、サン=テグジュペリ星の王子さま」に通じる浪漫がある。

しかし「教会の屋根の上の風見鶏を取ってきてほしい」というシベールの願いを叶えたがために、ハーディー・クリューガーは警官に変態ロリコンと誤認され射殺されてしまった。寓意に満ちた物語。

少女のクリスマスプレゼントは「誰にも内緒の私の名前を教えてあげる」というもので、

「シベール」とはギリシャ神話の大地母神の名前。

ライオンを膝に乗せ片手にタンバリンを持ったキュベレー(知識の保護者の意)像(別名:シベール)

▶ では悲劇のトリガーとなった「教会の風見鶏」は何を象徴しているのだろう。

まず連想するのはこの人

木鶏をめざした力士:横綱双葉山

荘子による「木鶏」の由来は後ほど引用するが、ウクライナ戦争初期の、ロシア軍とウクライナ軍の、士気と戦意の差を日本の自衛官が解説していた話は興味深かった。

SNSのエコーチェンバーが起きた集団が過激化するイメージ図(読売新聞より引用)

これらは好戦的に「意図的な挑発」で炎上することもあるが、何故挑発するかというと、相手の戦意を刺激してバズろうとしているのだろう。何かの利益のために。

五条と鹿紫雲が殺された直後の戦意120%の虎杖悠仁(呪術廻戦)

Wikipediaより引用)

木鶏(もっけい)とは:
荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。
・由来
故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で、最強の鶏について説明する。

紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 

『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると

 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』 と答える。

更に10日経過したが、 

『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると 

『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。
まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』と答えた。

上記の故事で、荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。

サンリオのシナモロール

赤ちゃんや子供のかわいさは、保護者(親)の戦意喪失のシグナルの本能と動物行動学の本で読んだ事がある。

だから女子高生は絵文字を多用するのだろうけど、ネットのSNSの場合はシニシズム冷笑主義)で傷を与えて論破するケースが多いのでしょう?よく知らないけど。

演出をやっていた頃に、上手く進まなくてイライラしてたら、苗字に樹木の文字が入ってる友人が

「◯◯さん、木に向かって本気で怒ってる人を見たことありますか?そんな人がいたら病院に連れてかれますよ。僕に言わないで下さい。」と鎮静化してもらった事がある。

たぶん文学部の彼は「荘子の木鶏」を知っていたのだろう。

カラオケボックス

カラオケも日本発祥の文化なんだけど、デイサービスで常設のカラオケ部屋があるとトラブルが少ないという実感があるんだけど、コロナ禍でカラオケにも制限がかかってしまった。

なのでマイクを使わずにその場で歌ったりするんだけど、それでも効果があるし、歌好きの人で、アルツハイマー認知症MRI画像が7年前からまったく進んでなくて医者が驚いていた、という人もいる。

松下政経塾松下幸之助

戦争を未然に防ぐのは政治家の仕事だけどね。天下国家で興奮する人が多いよね。