②ノックバットⅡ/リスナーの耳を耕す

野球のノック

童話「みにくいアヒルの子

かわぐちかいじ「心  COCORO」

▶ 僕がよく「補助線の助言」と比喩しているのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの少年時代からを描いたこの漫画の1巻で、弟子入りしたヴェロッキオ工房の親方が「だああ失敗作だ!」と言っていた絵に「それなら頂戴」とヴェロッキオ親方の絵に筆を入れて「この人はこう描きたかったんだと思う。ほら」と無邪気に見せる場面に由来している。

日本のお硬い役所や企業で上司にソンナコトしたら左遷か解雇されるだろうけど、さすが芸術の都のジョブ型雇用。ヴェロッキオ親方はその一本の線で自分の先入観による錯覚に気が付き、描き直して傑作をモノにした。

SNS等の感情的な言葉の応酬の一因は「数冊でいいから本格的な読書や美の鑑賞体験が乏しいから比較素材のレベルが低い」こともあると思う。負けそうになると(論破されそうになると)「上から目線!」と煙幕を張って逃げたりね。

さて昨日の千本ノックwの

グローヴァー・ワシントン・ジュニア&ビル・ウィザース「Just the two of us」の「聴くポイント」や「サックスによる非言語のボーカル以外のメロディライン」を、分析や完コピまではしなくても「いい曲だね」と音楽脳が動くようになってくれば

zonji「kaede」

このアーティストは「在宅系」という若者ジャンルで扱われているが、R&Bと接続できる根っこを持っていることがわかる。

♪悲しみや愛を嘆く文豪に支えられて/私の孤独は加速するばかり...

▶ 蜂飼耳の論調を借りれば「世の中が効率や加速を安易に使うビジネス習慣病が、歌謡曲の詞に侵食している」という感じか。

あいみょんの「佐々木朗希のテーマ曲」も「指先で加速する」とか出てくるし。

おじさんに言わせればダサいのだよ君。

なのでレオナルド補助線を入れてみよう。

♪悲しみや愛を嘆く文豪に支えられて/渋谷の人混みを一人彷徨う...

とかね。これもまだ「サナギ」だけどさ。

▶ 曲の後半にストリングスが遠慮がちに挿入されてるけど、小田和正が「言葉にできない」で♪...(ベースのスライド音)あの頃より、愛、して、いる、みたい.....

と表現している暗黙知の部分には無理して言葉を充てがわずに、サックスやフルートなど管楽器のメロディーで引っ張るとかね。

ただし「Sweet Memories」以降の、山口百恵のようにグレずに大人びた松田聖子が、デヴィッド・フォスターの助っ人外国人の打撃力に依存しようとしたのは、僕の耳にはよそよそしい「なんちゃってアレンジ」で♪飾りじゃないのよ涙は  アッハー...と歌いたくなってくるんだよな。

▶ そうしてzonjiが生楽器で作曲できるようになると化けると思うけどね。

【次回の千本ノックwの予告】

YUI「JAM」

▶ 公園でストレッチしてこよう。30分くらい快楽優先で体を動かすとドーパミンセロトニンが分泌されて気持ちがいい。呼吸も楽になるし。